Diary

そこで鞭一発!

けっこうへとへと、夕べ印刷した原稿とワープロ画面とネット画面とページミル(HP作成ツールね)の画面と広げて活字まみれになってでも一休みって日記書いてるんだからなっから世話なしだいね。そういやJTにブレンダーって仕事があって、たばこの味見をしながらブレンドするらしいんだけど、そういう人たちも一休みのとき、一服するかってたばこ吸うらしいよ。まじで。
なんかさあ、思ったんだけど、今度の海仙って読みにくくないか? 方言がどうのってんじゃなくて、会話と文章のバランスなんだろうか。文章そのもののリズムが抜けてんだろうか。only talkと比べてどうだろう。単に自分が弱ってきてるだけなのかな。本当は食い込むように読ませたいんだけど、なんかいまひとつなんだわ。楽器で言うと「鳴ってない」感じ。飯でいうと「一味足りない」感じ、馬術でいえば「そこで尻鞭一発」って感じ。まだ格闘する時間は十分にある。なんか、早口であらすじ怒鳴って終わりっ! て感じなんだよなあ。再編だから流れとかがつかめてないって感じなのか。そのへんちょっと、いつも書いてくださる方も、ロム専任の方も、掲示板に書いていただければ悩めるボクとしては幸いです。なんたってあと1ヶ月以上悩むんですから。


大佐に手紙は来ない

美人は三日で飽きると言うが、実家にも大体三日いると飽きる。今日は四日目だったので、ラグビーで気を紛らせたりしてたが、もう落ち着かなくて蒲田に帰りたくて飯も食わずに帰ってきたよ。
なんてことないけど、自分ちはやっぱ落ち着くね。帰ってきてコーヒーの豆挽いてる時はかなり幸せだね。公共料金の請求書とか来てても家を空けてた後だと許せちゃうね。で、俺が待ってるのは、精神障害者手帳できたから取りに来いよ、の手紙なんだが、これがまあ全然来ないんだ。「大佐に手紙は来ない」はガルシア・マルケスの小説で恩給かなんか待ってたんだが、それを思い出す、俺もそんな感じよ。


実家にて

LANケーブルの関係で俺とおふくろは席を並べてパソコンに向かっている。おふくろはフリーセルか、点字図書館のボランティアをしている。点字本なんてこの時代、一発でコンピューター変換できそうなものだがそういうわけにもいかない、例えばこの日記を点字訳するとなるとまず「らん けーぶる の かんけい で おれ と…」という文章を作って校正をしてそこから点字に直す。なかなか地味な作業があるわけだ。
俺は朝から深夜まで、もちろん間にネットもするけどそれ以外は大体小説に取り組んでいる、頭が疲れるからコーヒーばかり飲むわけだが、親から見ると俺は暇そうに見えるらしい。もちろん親相手でも他人相手でも忙しそうにするのは大嫌いな俺だからそれはそれで構わないのだが。


植物時代

晩白柚(ばんぺいゆ)が知りあいから実家に送られてきた。柚子というよりざぼんの大きさである、いやはやでかい。あんなものが木になっているのだからすごい。カボチャや西瓜みたいに地面に転がっているなら判る、ざぼんや晩白柚をつり下げている木の力はどれだけのものだろう。筋力で考えると大変なものだ。
アスファルトを割って生えてくる雑草の力、切って台所に放っておいただけで伸びてくるネギ、一夜にして温室のガラスを割って成長する竹…こいつら、電気かなんかに使えないのかな。
植物電源、実用化できたらすばらしいのに。


せの字

文房具に派閥があるとするならば、私はガチャック派である。知ってる? ホチキスみたいに紙を留めるんだけど、針で刺さないで薄い金属の板で挟むやつ。ほかに何派があるのか知らないけれど私はなんでもガチャックである。当然原稿もガチャックで挟む。私は何度でも小説を印刷するし、ガチャ玉は何度でも使える。
だんだん書き増して来て「海の仙人」のワープロ原稿が、ガチャック(中)では挟まらなくなった、ちなみに(中)は40枚(大)は60枚と書いてある。大を買う気にはまだならないので、上下巻に分けている。散逸の機会が2倍に増えたことになる。実家に戻ってくると上巻をあっちに置いてたばこを吸っていたり、下巻をこっちに置いてPCに向かったりしている。
「おーいここに原稿があるぞ」と親から声がかかる。別にポルノ書いてるわけじゃないから見られたっていいんだが、うちはあんまりフランクじゃないからなあ。テレビや映画でも性のせの字が出ただけで目線はうろうろ、手持ちぶさた、なんか関係ない話題を探そうと必死になる家だから、なかなかどうして難しい。せの字もつかない小説を書かない限り、こういうことって一生解決しないんだろうな。


たかだかパッキンの群馬弁

予想通り朝一で水道屋が来た。東京の水道屋は標準語を喋るんだろうなと思っていたら、「ここをおっぱずして、ここんとこ切っちゃってこっちもおっぱずして」と群馬弁と殆ど同じ言葉を使っていたのでほっとした。(群馬人か?)
現場仕様の流しは点検口が側板じゃなくて底にある。ところがうちの配管は床転がしじゃなくて床立ち上げなんで、止水栓は側板のむこうである。メンテ考えて配管しろよとも言えねっさ。止水栓まで手が届けばそりゃ自分でパッキンの交換くらいするさあ。どうすんべかと思ったら「蛇口の交換」てことで一回けえってった。パッキンだったら材料数十円(大体水道屋の車か机ん中に入ってる)なのに蛇口だったら2000円くらいすんじゃねえかよ。こりゃ材工合わせてなからなことになるべ。このクソ流しがいけねえのか。できれば今日中と言ったがいつ来っかわかんねえから今日は料理もしねえ。流しの下の物も出しっぱなし。
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結局蛇口(デッキ式混合水栓)の在庫がなくて月曜工事予定。ああめんどくせえ。


牡蠣で当たったときに一晩中便器とお友達になるみたいに、今の私はパソコンとお友達である。今日は集中できた。海の仙人は詩なんだということが判ってきた。とにかくあるもの全部書かないと気持ちが悪い。2月中には骨格があがると思う。そこからまた切った貼ったするんだろうけどさ。
兎に角、これが仕上がるまでは鬱に来てもらっては困るのである。まあ、来るときゃ来るんだけどさ。


念ずれば通ず

会社というところは、どうも標語やことわざが好きらしい。私の得意先には月間の標語を達筆で書いたところが多かった。全て実話である。
「石垣」事務所に入るといきなり「石垣」である。どうにか人目を盗んで「いちご」と書きたかったが怖い目つきで佐賀弁ばりばりのオジサンが睨みを聞かせていて目標を果たせなかった。
「汗をかけ、知恵をしぼれ、やる気のない者は黙って去れ」いつも黙って去ろうとして「糸山さんこれ、どうなっとるの?」「こっちも大至急頼むでよう」とつかまってしまった。後にこの会社からはどんどん若手がいなくなった。
「棚からぼたもち」最初は笑った。でもその会社、黙って去れの会社から人材を引き抜きまくって商売繁盛したのがその翌年の話。2年後、地区で最大手の競合先がつぶれて会社ごと引き取った。棚ぼたがそんなに深い言葉だったとは。


だからバカ車が増えるんだ

「嫁さんが左ハンドル運転できないんで」とか「マニュアル運転できないんで」とか言うバカについて。できないくせして、車選びの指南役はその嫁さん、デザインがどうの、メーカーがどうのと小賢しい、そういうことを一々他人に報告するバカ旦那がいやらしい。これが、一人でトイレに行けないとか洋服が着られないとかだったらまじめに聞くが、左のマニュアルなんざ三日も練習すりゃ慣れるんだよ。怖がってるとか、技術が劣ってるとかを逆手にとって可愛いという図式はもうやめないか、フェミニズムのつもりの女性蔑視か。まあ、一言で言えば見苦しい。
え? 男のオートマ免許? すまんそれ個人的に論外。


いやほんの寝巻きですよ

いつからか、睡眠の不安定な頃だったかもっと前かは忘れたが、ジーパンで寝ている。友達でも一人そういう奴がいて妙ちきりんな男だと思ったが、試してみるとこれが便利。起きてすぐにパンを買いに行ける、寝る前でも煙草を買いにいける、地震があってもさっさと避難できるだろう。それだけではない、下半身のでぶ防止になるのである。痩せはしないが、現状維持が出来る。上半身は普通にフリース、この時期はノーブラとか気にしなくていいかららくちんである。いや、パンツは履いてますよさすがに。
今日は雨だった、乗馬用のコートは鞍も濡らさないようにするとか、機能も満載なのだが、馬に乗ってないときにはあまり関係ない。どうでもいいんだけどこれが紫色、傘がカーキ緑、雨靴が赤…だんだんなんかに似てきたぞと思ったらちびくろサンボでした。ホットケーキを百五十八枚食べたくなりました。(正しくは169枚でした)


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