2021/12/21 火曜日
「絲山賞」は、絲山秋子がその年読んだ本のなかで一番面白かったもの、自分には書けないものに対して敬意を表する個人的な企画です。2004年から始めたので今年で18年目となります。これまでの受賞作は「プロフィール→絲山賞について」をご覧ください。
第18回絲山賞は藤沢周著『世阿弥最後の花』(河出書房新社)にさしあげたいと思います。
本の詳しい紹介は河出書房新社の公式サイトでご覧いただけます。
七十二歳にして無実の罪で佐渡島へ流刑となった世阿弥の晩年を描くこの小説は、場面によって語り手が変わります。
世阿弥自身、亡き息子元雅、佐渡の役人朔之進(のちに出家して了隠)、それぞれの語りは、音域も話すスピードも抑揚も異なる「声」として感じられます。文体の変化や補足説明がなくても、読んでいて「あ、この声はこの人」と自然にわかるのです。
読み手は耳を澄ませて語りに集中するだけで、世阿弥の姿を間近に仰ぎ、己や過去、死者の悲しみと対峙する心のなかへと入っていきます。穏やかで探究心に満ちた視線となって佐渡の風景や人々の日常を眺め、かれを慕うたつ丸少年とともに笑っているのです。
しかし何の苦もなく能の舞台が立ち現れ、その世界へ引き込まれて行く感じ、この世に存在しないものと邂逅し、混じり合う感じ、どうしてこれほどの表現ができるのだろうと思いました。
読み終えて考えているうちに、まっすぐに立ち、かろやかに舞っているのは世阿弥だけではないことに気がつきました。作者は太陽や月、蝋燭の光となって物語を照らしながらその場に佇んでいたのです。そして自由自在に人々の語りのなか、心のなかに入って行く。そのふるまいが世阿弥とぴったり重なっているので読んでいるときには気がつかなかったのです。
自然に、あるがままに、自在に、かろやかに。
イメージはできても、これは本当に難しいことです。
作者である藤沢周さんの凄まじい技量とまっすぐな姿勢が、ほかの人には真似できない表現を成し遂げたのだと思いました。クライマックスで感じる、ふわっと包み込まれるようなあたたかさは「花」に触れることの叶った喜びかもしれません。すばらしい作品でした。圧倒されました。