Diary

なんだこれは

午前中、エッセイと群像の新しい小説をほんの少しだけ。
午後、文春にて「沖で待つ」の再校と次回小説のテーマについて打ち合せ。

文芸誌をかなり整理したはずなのに、まだ「文芸誌」と書いてある段ボールがいくつもあるのは何なんだ。読まない本とかも思い切って処理しようと思う。商売柄「思い切って」を年に4回くらいやらないと部屋が片付かない。しかし、途中で「勤労感謝の日」を読んでなんだこれは、と思ったりして時間が過ぎてしまう。


歩いても歩いても東京

病院から帰ってきてぷいと散歩に出たが、八百屋の店先で茄子や胡瓜の産地を見ただけで、ああ群馬に帰りたい、と思う。


おふくろのピクルス

朝エッセイと「沖で待つ」の再校ゲラ。午後中公来宅、打ち合わせ。

夕方実家に行き、阪神談義の後、群馬での自炊生活を報告すると「余った野菜はピクルスにするのよ」と母が言い始め、あっという間にレシピだの空き瓶だのスパイスだのを揃えられてしまった。この夏は怪しいピクルスの報告をすることになると思います。


職住一体

午前中、絲的メイソウと群像のコラム。午後、小説現代と絲的メイソウ3回分打ち合わせ。編集者が来る日はやっぱりしゃきっとするし、いつもよりきちんと掃除もする。
群馬では、ベッドもなにもないくせに自分の寝起きする部屋に入られるという感じがあったが、東京の家は自分の中でも職住一体とか、事務所に住んでいるというようなイメージなので大歓迎だ。だから住んでて落ち着かないんだろと言われたらそうなのかもしれない。


日曜日という感じ

昼寝しまくってあまり仕事はしていない。機嫌はいいが、靴擦れをつくって右足の親指が痛い。あとで麦茶を沸かそうと思っている。


ほかにないのか。

ふと、去年の今頃は何をしていたんだろうと思っても、「小田切孝」の後に「アーリオ オーリオ」突入だよな、とか、「くそたわけ」の強行軍の取材の頃だっけ、とか、作品のこと以外何も思い出せないのはちょっと貧しい。書かないだけで何かほかにあるんでしょ、と言われても(言われないか)なんも思い出せません。鼻血もでません。クーペ買ったのは8月だしなあ。
今年は馬があるだけ去年よりだいぶマシな気がする。

ちょっとは部屋も片付いて、ネットも大丈夫になったので安心した。夜はお呼ばれ。


帰宅大弱り

帰京。関越を降りてからの渋滞はいつものことだが、今日の運転は睡魔との闘いだった。
家に帰ると、郵便物の山。ある程度覚悟はしていたが、どうしようこれってくらいある。段ボールに封印してクロゼットに押し込んでしまいたい。
またしてもネットが繋がらない。PPPらしい。とりあえずエッジで代用する。
逃避のために昼寝をしてみたが、当然状況は何も変わらない。なんとかしなきゃ。


明日から東京

窓際に天井からボルトが二本下がっていて、首でも吊れっちゅーのかと当初思ったが、実は物干し竿を室内に吊れるしくみなのだった。これはとても便利で、シーツでもタオルでも、最後の朝に洗濯して干しっぱなしにしたまま帰れる。私は家事の中では洗濯が一番好き。掃除は磨き出したりするとキリがないが、洗濯は限界がすぐ来るし、ばりっと乾くと気持ちがいい。

明日東京に帰る(もはや「行く」なのか)ので、やだなーやだなーと思って、日曜の夕方のガキみたいにごろごろしていた。夕方馬に乗って夜は蕎麦食ってびしっとしめる。


山のおかげ

今日は午後になっても涼しい風が吹いて、少しばかり山も見えた。そこにあることは判っているのに、見えない山はなんだかもどかしかった。私だけかもしれないが、ここにいると、「山のおかげ」なんてことを考えたりするのだ。風が吹くのも、雨が降るのも、朝晩涼しいのも、霧が出るのも。もちろん海が近い街に住めば「海のおかげ」を考える。東京ではそういう発想はしない。

ストロガノフを作ってタマネギを制覇した。今回ちょっと買いすぎたので後半大変だった。大きなやつを一個分、オニオンスライスにして食べるとくしゃみが止まらないことも学んだ。適量ってもんを考えないと。
夕べは久しぶりにぐっすり眠れた。


早起きがむしゃら

連日の早起きがたたって消耗している。5時頃からはじめて午前中は涼しいし、一番集中できるのだが、そこでエネルギーを使い果たしてしまっている感じ。今朝もそうだった。昼寝ができればかなり楽になるんだけれど。馬に乗るからには人の倍働かなければ、みたいな変な意地を張っているのもよろしくない。

でも、とりあえずやりかけのものは手を離れた。あとはもう小説すばるの連作をやるしかない、という状況に持ち込めた。ガツガツせずにゆっくり散歩したりコーヒー飲んだりしながら、小すばと、できればその後の群像のことを考えたい。本来、そういう時間が欲しくて群馬に来た。


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