Diary

ダメダメな日

ロドピンの増減をある程度任せてもらったものの、なかなかうまくいかない。難しい。多いと眠い、少ないと落ち着かない。それが割と強めに出る。
小説が気に入らない。かといって直すパワーも足りず中途半端にしてしまう。ほんとは自分の周期的な機嫌の悪さから来るんだと思う。化粧したのに出かけない。飯もアミノバイタル。なんかヨクナイ。こういう日は全てうまくいかない。まだ来てない明日のことが心配になる。明日は書けるだろうか。明日はでかけるだろうか。
この1ヶ月は毎日小説ばかり書いてきた。ちょっと飛ばしすぎた。こんな日もありでしょう。シャワー浴びて酒飲んで寝ちゃえ。ロフトに行って本を読もう。それと読まないかもしれないけど原稿も持っていこう。


春眠まだロドピンが多い

病的な眠気、昼はロドピンをストップした、それでも夕方5時くらいまで寝たり起きたりを繰り返す。一回の睡眠時間は30分~多くて1時間くらいなんですよ、何度寝たことか。結構たまんないっすよ。起きてパソコン開けて見ようとするとまた眠くなる、その繰り返し。家にいたからいいけど、出かけてたらかなり危険です。薬が余計に効くということはそれだけ、状態が良くなってきたということだと思います。なんで状態良くて一日棒に振るのさと思うけれど仕方ないですね。夕方からやっと小説にたどりつく。


春眠ロドピンを減らす

病院。いまのところ(警告灯が一個怪しいのをのぞけば)快調なティーポでピーズのライブをかけながら行くのは気持ちいい。再入院した友達と会う約束が流れて残念。私の調子はひどい眠気がある他はすこぶるいい。禿先生曰くロドピンの量を減らす時期とのこと。今のところ、先生の思惑通り抗うつ剤を一切飲まずに、躁の後の時期、落ち着いた調子をキープしている。躁の後の時期、今までは直後に鬱が来ていた。だから今回もでっかい鬱が来ると覚悟していた。そういえば、先生が「最終的な処方の候補」と言っていたのが気になる。採血。


食べ物の好み

今日は、とろろが食べられるようになりました。こないだは、椎茸も食べられるようになったので、私も少しは進歩したなと思います。もっと好き嫌いを無くしたいなと思います。今でも食べられないことはないけれど、豆、芋、南瓜が課題です。
でも納豆だけはだめです。味、におい、見た目、ねばねば、かき混ぜるときの音と、五感全部でだめなので、この先人生長いけれどやっぱり無理だと思います。


そこで鞭一発!

けっこうへとへと、夕べ印刷した原稿とワープロ画面とネット画面とページミル(HP作成ツールね)の画面と広げて活字まみれになってでも一休みって日記書いてるんだからなっから世話なしだいね。そういやJTにブレンダーって仕事があって、たばこの味見をしながらブレンドするらしいんだけど、そういう人たちも一休みのとき、一服するかってたばこ吸うらしいよ。まじで。
なんかさあ、思ったんだけど、今度の海仙って読みにくくないか? 方言がどうのってんじゃなくて、会話と文章のバランスなんだろうか。文章そのもののリズムが抜けてんだろうか。only talkと比べてどうだろう。単に自分が弱ってきてるだけなのかな。本当は食い込むように読ませたいんだけど、なんかいまひとつなんだわ。楽器で言うと「鳴ってない」感じ。飯でいうと「一味足りない」感じ、馬術でいえば「そこで尻鞭一発」って感じ。まだ格闘する時間は十分にある。なんか、早口であらすじ怒鳴って終わりっ! て感じなんだよなあ。再編だから流れとかがつかめてないって感じなのか。そのへんちょっと、いつも書いてくださる方も、ロム専任の方も、掲示板に書いていただければ悩めるボクとしては幸いです。なんたってあと1ヶ月以上悩むんですから。


大佐に手紙は来ない

美人は三日で飽きると言うが、実家にも大体三日いると飽きる。今日は四日目だったので、ラグビーで気を紛らせたりしてたが、もう落ち着かなくて蒲田に帰りたくて飯も食わずに帰ってきたよ。
なんてことないけど、自分ちはやっぱ落ち着くね。帰ってきてコーヒーの豆挽いてる時はかなり幸せだね。公共料金の請求書とか来てても家を空けてた後だと許せちゃうね。で、俺が待ってるのは、精神障害者手帳できたから取りに来いよ、の手紙なんだが、これがまあ全然来ないんだ。「大佐に手紙は来ない」はガルシア・マルケスの小説で恩給かなんか待ってたんだが、それを思い出す、俺もそんな感じよ。


実家にて

LANケーブルの関係で俺とおふくろは席を並べてパソコンに向かっている。おふくろはフリーセルか、点字図書館のボランティアをしている。点字本なんてこの時代、一発でコンピューター変換できそうなものだがそういうわけにもいかない、例えばこの日記を点字訳するとなるとまず「らん けーぶる の かんけい で おれ と…」という文章を作って校正をしてそこから点字に直す。なかなか地味な作業があるわけだ。
俺は朝から深夜まで、もちろん間にネットもするけどそれ以外は大体小説に取り組んでいる、頭が疲れるからコーヒーばかり飲むわけだが、親から見ると俺は暇そうに見えるらしい。もちろん親相手でも他人相手でも忙しそうにするのは大嫌いな俺だからそれはそれで構わないのだが。


植物時代

晩白柚(ばんぺいゆ)が知りあいから実家に送られてきた。柚子というよりざぼんの大きさである、いやはやでかい。あんなものが木になっているのだからすごい。カボチャや西瓜みたいに地面に転がっているなら判る、ざぼんや晩白柚をつり下げている木の力はどれだけのものだろう。筋力で考えると大変なものだ。
アスファルトを割って生えてくる雑草の力、切って台所に放っておいただけで伸びてくるネギ、一夜にして温室のガラスを割って成長する竹…こいつら、電気かなんかに使えないのかな。
植物電源、実用化できたらすばらしいのに。


せの字

文房具に派閥があるとするならば、私はガチャック派である。知ってる? ホチキスみたいに紙を留めるんだけど、針で刺さないで薄い金属の板で挟むやつ。ほかに何派があるのか知らないけれど私はなんでもガチャックである。当然原稿もガチャックで挟む。私は何度でも小説を印刷するし、ガチャ玉は何度でも使える。
だんだん書き増して来て「海の仙人」のワープロ原稿が、ガチャック(中)では挟まらなくなった、ちなみに(中)は40枚(大)は60枚と書いてある。大を買う気にはまだならないので、上下巻に分けている。散逸の機会が2倍に増えたことになる。実家に戻ってくると上巻をあっちに置いてたばこを吸っていたり、下巻をこっちに置いてPCに向かったりしている。
「おーいここに原稿があるぞ」と親から声がかかる。別にポルノ書いてるわけじゃないから見られたっていいんだが、うちはあんまりフランクじゃないからなあ。テレビや映画でも性のせの字が出ただけで目線はうろうろ、手持ちぶさた、なんか関係ない話題を探そうと必死になる家だから、なかなかどうして難しい。せの字もつかない小説を書かない限り、こういうことって一生解決しないんだろうな。


たかだかパッキンの群馬弁

予想通り朝一で水道屋が来た。東京の水道屋は標準語を喋るんだろうなと思っていたら、「ここをおっぱずして、ここんとこ切っちゃってこっちもおっぱずして」と群馬弁と殆ど同じ言葉を使っていたのでほっとした。(群馬人か?)
現場仕様の流しは点検口が側板じゃなくて底にある。ところがうちの配管は床転がしじゃなくて床立ち上げなんで、止水栓は側板のむこうである。メンテ考えて配管しろよとも言えねっさ。止水栓まで手が届けばそりゃ自分でパッキンの交換くらいするさあ。どうすんべかと思ったら「蛇口の交換」てことで一回けえってった。パッキンだったら材料数十円(大体水道屋の車か机ん中に入ってる)なのに蛇口だったら2000円くらいすんじゃねえかよ。こりゃ材工合わせてなからなことになるべ。このクソ流しがいけねえのか。できれば今日中と言ったがいつ来っかわかんねえから今日は料理もしねえ。流しの下の物も出しっぱなし。
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結局蛇口(デッキ式混合水栓)の在庫がなくて月曜工事予定。ああめんどくせえ。


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