2003/3/27 木曜日
「離陸」を書こうとしていたが、島の話の方が先に出てきたのでそっちをつらつら書く。まだ設定や会話が断片的に出てくるだけで、ストーリーらしいものは判らない。式根島、行きたいなあ。まだ早いけど。
漸く興奮が納まって、だるだる気分が戻ってきた。プールをさぼった。蒲田に荷物を運ぼうと思ったけどやめた。明日蒲田に帰る。
2003/3/26 水曜日
病院で禿先生に実はこういうわけで鬱がなくなりましたと言ったらとても喜んでくれた。それは嬉しかったが、カルテに文學界とか書くなよー。でも、まじめな話、原因あっての浮き沈みと、病的な浮き沈み(躁鬱)をしっかり把握していくことが次の課題ですねと言われた。それができるようになると、病的なものが少なくなって行くらしい。
夕方、紀尾井町に行ってゲラの修正を出してきた。これで完全に私の手から離れたことになる。
バスの中でずーっと次のことを考えていた。次は(落ちたら)6月締切だ。そろそろ始めないといかん。雑誌の講評はかなりの酷評なので(もちろん酷評を貰って乗り越えて行くことに意義があるのだが)その時点で仕事がある程度進んでいた方がいい。頭のアイドリングはいい感じだ。狐はそのへんをうろついている。そんな気配がある。
昨日は校正をしていたんで、日記さぼりました。すんません。
病院で小説を書いたとき、読書家の友人に読んでもらった。そいつが「よく書けてると思うよ」と言ったので、じゃあもっと書いてみようじゃないかと思った。それが最初だった。今回のことを報告すると「一献差し上げたいので良識の範囲内で食べたいものをリクエストください」とメールが来た。そう書かないと「ウナギ食べ放題」とか「牛の踊り食い」とか言い出す私の性格をよく判ってらっしゃる。黙っていると新宿まで呼び出されるので、それは遠いので、新橋か有楽町ならなんでも、とリクエストした。
賞を落ちてからだとテンションが下降する可能性があるので、今のうちだ。ぬか喜びを満喫しよう。まだ半月以上ある。今のうちは堂々と街を歩けるような気がする。
2003/3/24 月曜日
多摩川線で偶然八百屋のお兄さんと乗り合わせた。以前、蒲田レポートで「坊さん顔負けの美声」と書いたシンガポールからの留学生だが、聞くと本物の坊主だと言う。そういえばそんな格好をしている。
聞かれたので私は物書きだと答えると、坊主も自分で絵や書を書くといって、持っていた展覧会の写真を見せてくれた。私は全くの素人だが、書は「おっ! これいい!」と言いたくなるほどいい字だった。「風淡雲孤」というのもよかったし、「一笑解千愁」というのはもっとよかった。なんか一発で通じる感じだ。坊主は「墨で人を殺すことも出来る、墨で人を元気にさせることもできる」と言った。
人が校正してくれるというのはとてもありがたい。すごくよく調べてある。例えば「テグレトールはてんかんの治療薬では?」とか書いてある。プロの仕事だー。殆どの箇所は即答できる直しだけれど、どうにも難しいところが数箇所ある。私がわからんと言ったらもう誰にもわからんわけだが、せいぜい期限まで悩もう。死刑囚の最後の懺悔かもしれないが、そんなことを思っている奴があと5人いるんだなあ。
しかしあれだ、改めて下品な小説だなあ、こりゃ。まかり間違って入賞してもとても親には読ませらんないわ。糸山さんの家には名前を借りている以上、持っていかなきゃいけない気がするけど、神棚なんかにあげらんないよ。
2003/3/23 日曜日
昼間、あたたかいのでアロマスクエア前のベンチでくつろぐ。木々の枝の先に見えないちからがこもってきているのを感じる。風もゆるい。
文芸春秋社に行くのに妥当なのは有楽町から地下鉄なのだが、時間が余りまくっていたので新橋で降りてバスに乗った。精神障害者の只パスをはじめて使った。国会議事堂の前を通ったり、信号なしで青山通りを横切ったりする楽しいバスだった。それでも時間が余ったのでコーヒーを飲んだ。会社訪問より緊張したな。
巨大出版社の前に立つとこのデカい私がとても小さいように感じられる。編集長自ら通用門のところまで来てくださって(帰りも送っていただいた、だからご用聞きじゃなかった)、会議室でゲラをいただいた。直しを入れて水曜日にもう一度来ることになった。他にも質問に答えていただいたり、いろいろ話をした。自分がこの場にいることが夢のようだった。審査員の作家の人たちが自分が書いたものを読むなんてうそみたいだと思った。自分のなかでダメに決まってるという声もするし、4/14にならなきゃ判らないという声もする、まあなるようにしかならないということだろう。いずれにせよ私のするべきことは今日のゲラをしっかり直したら、次はもっといいものを書き続けることだけなのだ。
2003/3/22 土曜日
「大規模な空爆」をやって一体何人が傷つき、死んだのだろう。いや、人数の問題じゃない。死を受け止める側にとっては戦争はテロだ。フセイン一人を殺すために、ふつうに生きている人を何人も殺してもいい理由はどこにもない。アフガンの時も同じことを書いたと思うが、事態はより深刻かもしれない。
日本の対応について。「日米同盟が大事だからアメリカの武力行使を支持する」という小泉の台詞は全然理屈が通っていない。日米同盟があることと、今回の件が正しいものであるかは別物。正しいという言葉はおかしいかもしれないが、少なくとも何が正しいかを決めていく場が国連だと思う。確かにイラクには不正がある、だが国連を蹴ったアメリカの行為もまた正しくないと言える。なにより、アメリカの犬になってぶんぶん尻尾を振っている小泉を見ると気分が悪くなる。復興に金と人出すから破壊してくれよっていうのも妙な話だ。百歩譲ってアメリカを支持するにしても、もっと迷い、歯切れの悪い言い方をするべきだった。わりとうまくいっていた日本と中東諸国との今後の関係も心配だ。
2003/3/21 金曜日
ずっと前から私の小説を読んでくれている人が、中祝いといって有楽町で串揚げをご馳走してくださった。(ありがとうございました)嬉しいときに美味しいものを食べるともっと美味しいんだな、就職が決まった時以来かな、こんなの。
もちろん、会社みたいに仕事があって金が入って、ってわけじゃないけれど、文春や新潮といった大きな出版社は若手の作家を育てる、と聞いたことがある。賞をとれなくても自分が作家で生きていくための重要なコネクションが出来た、と思う。
海仙の最後の方は書いていて相当辛くて、全然ダメなんじゃないかと思ったりしていた。だから文學界も全然期待してなかった。次にいい作品を書かなければと思っていた。
現金なもので鬱はどっかに行ってしまった。また狐が来るのを待とう。
2003/3/20 木曜日
中身はへなへなっすよ。ちょっと小突かれたらぶっ倒れそうっすよ。銀行に寄った帰り、駅前で開戦の号外を貰ったのでサンマルクカフェで読もうとしたら、すごい違和感を感じた。周りの人がみんな花のように見える。自分はなんだろう。犬の糞か、そんな感じ。
てなことを書いていたら文芸春秋から電話かかってきた。ひょえー。it’s only talkが最終選考に残ったのでゲラを作って一度打ち合わせしましょうとのこと。しかしどんな話だったかもう忘れちゃったよ。読み直そう。
こんな日がこんな日だとは思わなかったよ。
2003/3/19 水曜日
どんどん調子が悪くなる。街には出られない。飯もいらない。コーヒーの量も減った。今日はまじでだめだ。へこみながらへこみながら座ってテレビを見ている。国会は党首討論でみんな元気だ。