2003/2/15 土曜日
食う量や眠る量と一緒で、人間が一日乃至一週間に書ける量というのは、決まっているんじゃないかと思う。俺は前に物を書く(ちゃんとした文章じゃない)アルバイトをしたことがあるが、一日8時間から10時間やってると、何も書こうという気にならなかった。日記は無理やり書いていたがすごく苦しかった。小説は一行も書けなかった。今は毎日朝から晩まで小説を書く。すると日記がお粗末になる、こんな具合だ。
2003/2/14 金曜日
一日中、小説を書いたり直したりしてた。疲れるけれど楽しい。まだやるべきことがたくさんある。まだ全然足りてない。まだ物が書ける。
できることなら、誰か友達と話がしたい。小説の中と外の話がしたい。どっかでゆったりして話したい。だけど私には友達がすごく少なくて、みんな忙しそうだ、それにまだ外は寒い。昨日はアメリカから葉書が来て、今日は精神病院からメールが来た。私はどんどん喋るのが下手になっていく。
バレンタイン? とっくに手は打ったよ。クリスマスは嫌いなくせにバレンタインはいいのかって? いいじゃん細かいこと言うなよ。
2003/2/13 木曜日
うちの母には「冷やかし」という悪い癖がある。例えばスカートはいてるだけで「あらスカートなんかはいて誰と会うのかしら」と来る。化粧もそう、冷やかされると腹が立つし恥ずかしい。どかすかと部屋に戻って化粧を落とし、一番男っぽい格好に変えて出て行く、それが家にいた時の自分だった。だんだん癖になって、一人暮らしでもそうなってしまった。だから当然と言えば当然、男に間違えられた。
最近はちょっとそこまででも化粧する、アイラインもチークもつけるし、胸をわざわざ潰すようなブラジャーの仕方もやめたし、スカートだって履く。こんな年になってやっと出来るようになった。色気づいたわけじゃない、鬼の三六 番茶も出殻である。旦那もガキもいないんだから、せめて「おねえさん」と呼ばれたいお年頃なのだ。おかげさまで電話の声とかは今でも間違えられるけれど、トイレでキャーとか言われるのはなくなった。
2003/2/12 水曜日
車で小平に通院。車の中は寒いけどやっぱり電車よりずっと楽。
禿先生は、私に抗鬱剤を使わずに躁鬱をコントロールしようと考えているらしい。抗鬱剤だと躁転しやすく効き目が不安定だからということだ。かわりに抗精神薬や安定剤の類を使う。その候補がセロクエルであり、リスパダールであったが、両者ともさんざんだった。片っ端から見合いの相手と喧嘩してしまうお嬢さんみたいだ。現在リスパダール1日一錠にしているがこれなら問題ない。今は調子がいい。久しぶりに気分が落ち着いている。躁の芽がまだあるような一抹の不安があるが、なにせロドピンを山ほど飲んでいるんだ、多分大丈夫。でも内心では、退屈しのぎに新しい薬でも飲みたいなと思っている。
2003/2/11 火曜日
風邪が治った、雨もやんだ、白蓮の花はまだ咲かない。俺は部屋で小説を書いている。
小説を書くというのはずいぶん変な行為だと思う。ありもしない話のことで悩む、つじつまが合わない出来事を削除する、ページ一枚で登場人物は年をとる。もう海の仙人の登場人物のことは顔から歩き方まで手にとるように判っている。毎日会う友達みたいに知っている。俺は主人公の話を注意深く聴く。機嫌が悪くて喋ってくれない日もある。背景の日本海は2年前に見たままだろう。
インターネットも不思議だ。会ったことのない人が俺の日記を読んでいる。俺がその人のことを知らなくても、その人が俺の名前や顔を知らなくても、俺のことを半分知っている。
2003/2/10 月曜日
日記を休んだのはいつぶりだろう。日記が書けなくて小説には手がのびる、それはそれでいいことか。1時間くらい寝るはずが眠剤なしで10時間以上寝て、起きてシャワー浴びようと思ったら頭が痛い、なんか調子悪いぞ。鬱じゃないと思うけど、風邪かな。
2003/2/8 土曜日
リンク2にも載っている、panoraphoneで相互リンクしてもらえた。かっこいいリンク文もつけてもらえた。だけど「小説、映画、コラムなんでも来い」と書いてある。映画はないよ…どうしよう。書いちゃえ。
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好きな映画ベスト3はimpressionsのトム・ウェイツの項にも書いたが、「マカロニ」(ジャック・レモン&マルチェロ・マストロヤンニ)「ダウン・バイ・ロー」(トム・ウェイツ、ジョン・ルーリー&ロベルト・ベニーニ/ジム・ジャームッシュ監督)「イズント・イット・ヘブン・イェット」(カール・カルダナ監督、主演)である。これは変わってない。
私は映画無精で、なかなかビデオさえ借りてこないのだが、それでもここ数年でいいなと思った映画を挙げよう、それで勘弁してもらおう。
「ヒーロー・イン・チロル」(クリスチャン・シュミット/リキ・ニヒト監督)全編ヨロレイヒー、なりふりかまわず笑わせるバカ映画。
「ノッキンオン・ヘヴンズ・ドア」(トーマス・ヤーン監督)海を目指す二人の末期癌患者のロードムービー。映像がとてもきれい、ストーリーもこれで十分。こういう映画が好きです。
「ゴースト・ドッグ」ジム・ジャームッシュの映画は殆ど見ているけれど、最近のではこれがいい。葉隠の精神を現代に生きる殺し屋を描く。
こうやって書いてみるとつくづく野郎ばっかり出てくる切ない映画が好きなんだな。それと、誰かカルダナの「ミスター・プープの初恋」って映画見てたら教えてください。
よーし、これで改めて「なんでも来い」だ。
ひとくちに3年と言うが、10日で退院して3年になる。私の生活は入院を境に大きく変わった。あの5ヶ月がなかったら小説を書いてなかったかもしれない、そうだとしたら今の自分もこの先の自分もなかっただろう。再発を繰り返しながら会社と乗馬にしがみついていたかもしれない。
「3年もうもう3年たったのに」と泉谷も歌っているが、躁鬱の波は相変わらずで、自分ではうすうすリチウムは効かないんだなと思っている。ただ一生病気であることと一生薬を飲むことは違う。病気の乗りこなし方は変わってきた。病気の症状そのものに努力はなんの効き目もないが、対処の仕方というのは慣れや努力でずいぶん変わってくる。努力というのは使いにくい言葉だけれど、未遂の余韻がまだ残っていた、痩せこけた私に禿先生は「人間の努力というのは必ず報われます」と言ったものだ。その努力というのは決して、我慢することではない。よく壊れるイタ車に乗ることとそんなには変わらない。
2003/2/7 金曜日
今回、海の仙人を書き直すに当たって2年という時間を感じたのが、三菱ジープとダットサン・ピックアップの廃番。面白い車はどんどんなくなって、バカ車(特にマーチ)と丸いミニバン(その他大勢)ばっか走ってる、人と同じ車に乗って何が楽しいんだろう。
1年前、ここに越してきた頃近所の駐車場にフィアット・バルケッタが止まっていた。美しいオープンカーである。名古屋に住んでいた時、馬を買うかバルケッタを買うか迷ったことがあるが、トランクに鞍が入らないという理由で馬を買った。今はもう、もちろん馬は持っていないが、鞍は持っている。
最近私に「買ってよ」光線を送って来る車がある。プールに行く途中の中古車屋で売られている。ビュイック・ロードマスターワゴンである。そうそう、木目のパネルがついてるやつ。今更オートマ乗ったって退屈なだけだと思うけれど、あれで海水浴や長距離旅行に行くっていうのはちょっと絵になるな、と思う。
いや、もちろんティーポが一番いい車なんだけどね。(と、書いておかないと車の機嫌が悪くなりそうでこわい)
愛する蒲田を歩いてもくさくさする、なんかつまんねー。こんな日はよさげな飲み屋を開拓するってのも手だが、どうもこのところの俺様は飲みっぷりがよろしくない。池上にちょっと行ってみたい店がないこともないんだが、先立つ物もアレだし、誰か来たときにしようかと伸ばし伸ばしにしている。誰が来るわけでもねえんだけどよ。うちの冷蔵庫の上ではゴードンのジンと、安ボルドー赤と、一ノ蔵無鑑査が並んで恥をかいている。そういや瓶ゴミなんて全然出してねえ。
飲もうかと思うと、なんとなく気分が悪くなるんだ。あんなに大好きだったのに。毎日一緒だったのに。どうしちゃったんだろう。夜なのに菓子パンなんか喰ってるよ、女子供じゃあるまいしよ。キモいよ。往年の俺様の何様ぶりを知ってる友達が見たら目まわすぜ。まじで。