Diary

映画のはなし

リンク2にも載っている、panoraphoneで相互リンクしてもらえた。かっこいいリンク文もつけてもらえた。だけど「小説、映画、コラムなんでも来い」と書いてある。映画はないよ…どうしよう。書いちゃえ。
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好きな映画ベスト3はimpressionsのトム・ウェイツの項にも書いたが、「マカロニ」(ジャック・レモン&マルチェロ・マストロヤンニ)「ダウン・バイ・ロー」(トム・ウェイツ、ジョン・ルーリー&ロベルト・ベニーニ/ジム・ジャームッシュ監督)「イズント・イット・ヘブン・イェット」(カール・カルダナ監督、主演)である。これは変わってない。
私は映画無精で、なかなかビデオさえ借りてこないのだが、それでもここ数年でいいなと思った映画を挙げよう、それで勘弁してもらおう。
「ヒーロー・イン・チロル」(クリスチャン・シュミット/リキ・ニヒト監督)全編ヨロレイヒー、なりふりかまわず笑わせるバカ映画。
「ノッキンオン・ヘヴンズ・ドア」(トーマス・ヤーン監督)海を目指す二人の末期癌患者のロードムービー。映像がとてもきれい、ストーリーもこれで十分。こういう映画が好きです。
「ゴースト・ドッグ」ジム・ジャームッシュの映画は殆ど見ているけれど、最近のではこれがいい。葉隠の精神を現代に生きる殺し屋を描く。
こうやって書いてみるとつくづく野郎ばっかり出てくる切ない映画が好きなんだな。それと、誰かカルダナの「ミスター・プープの初恋」って映画見てたら教えてください。
よーし、これで改めて「なんでも来い」だ。


3年

ひとくちに3年と言うが、10日で退院して3年になる。私の生活は入院を境に大きく変わった。あの5ヶ月がなかったら小説を書いてなかったかもしれない、そうだとしたら今の自分もこの先の自分もなかっただろう。再発を繰り返しながら会社と乗馬にしがみついていたかもしれない。
「3年もうもう3年たったのに」と泉谷も歌っているが、躁鬱の波は相変わらずで、自分ではうすうすリチウムは効かないんだなと思っている。ただ一生病気であることと一生薬を飲むことは違う。病気の乗りこなし方は変わってきた。病気の症状そのものに努力はなんの効き目もないが、対処の仕方というのは慣れや努力でずいぶん変わってくる。努力というのは使いにくい言葉だけれど、未遂の余韻がまだ残っていた、痩せこけた私に禿先生は「人間の努力というのは必ず報われます」と言ったものだ。その努力というのは決して、我慢することではない。よく壊れるイタ車に乗ることとそんなには変わらない。


la voiture番外編

今回、海の仙人を書き直すに当たって2年という時間を感じたのが、三菱ジープとダットサン・ピックアップの廃番。面白い車はどんどんなくなって、バカ車(特にマーチ)と丸いミニバン(その他大勢)ばっか走ってる、人と同じ車に乗って何が楽しいんだろう。
1年前、ここに越してきた頃近所の駐車場にフィアット・バルケッタが止まっていた。美しいオープンカーである。名古屋に住んでいた時、馬を買うかバルケッタを買うか迷ったことがあるが、トランクに鞍が入らないという理由で馬を買った。今はもう、もちろん馬は持っていないが、鞍は持っている。
最近私に「買ってよ」光線を送って来る車がある。プールに行く途中の中古車屋で売られている。ビュイック・ロードマスターワゴンである。そうそう、木目のパネルがついてるやつ。今更オートマ乗ったって退屈なだけだと思うけれど、あれで海水浴や長距離旅行に行くっていうのはちょっと絵になるな、と思う。
いや、もちろんティーポが一番いい車なんだけどね。(と、書いておかないと車の機嫌が悪くなりそうでこわい)


往年の俺様

愛する蒲田を歩いてもくさくさする、なんかつまんねー。こんな日はよさげな飲み屋を開拓するってのも手だが、どうもこのところの俺様は飲みっぷりがよろしくない。池上にちょっと行ってみたい店がないこともないんだが、先立つ物もアレだし、誰か来たときにしようかと伸ばし伸ばしにしている。誰が来るわけでもねえんだけどよ。うちの冷蔵庫の上ではゴードンのジンと、安ボルドー赤と、一ノ蔵無鑑査が並んで恥をかいている。そういや瓶ゴミなんて全然出してねえ。
飲もうかと思うと、なんとなく気分が悪くなるんだ。あんなに大好きだったのに。毎日一緒だったのに。どうしちゃったんだろう。夜なのに菓子パンなんか喰ってるよ、女子供じゃあるまいしよ。キモいよ。往年の俺様の何様ぶりを知ってる友達が見たら目まわすぜ。まじで。


嵐の後に来るもの

朝、蒲田に帰ってきた。家を出る間際に親父が「金は足りてるか」と聞いた。ありがたいけれど恥ずかしいと思った。躁をねじ伏せると、世の中に引け目を感じるばかりなのだ。人に会うことでさえ迷惑なんじゃないかとか申し訳ないとか、躁の後に来るこの線は希死念慮に繋がりかねない、断ち切らないとやばい。
小説は書いている。駅前図書館で資料になるかもしれない本を6冊借りてきた。第五章以降は少し時間がかかるかもしれない。資料といっても、自分のなかで納得するだけのものもあるし、2,3個のセンテンスを直すだけかもしれない。とりあえず当面は、3月まではこの小説を書き続け直し続けていければいい。「仕事」をしていればいい。


車で行こまい

久しぶりに電車で医者に行く。所要時間1時間40分、乗り換え4回、うち座れたの2回、まー嫌。来週からは車で行こまい。車だったら1時間で行く。
嵐の過ぎ去った後のようですな、ええもう参りましたよ、みたいな問診の後、病院の裏口から西武線に乗る。西武線は乗客がみんなゲタ履いてるとか、砂利道だから電車の床が泥だらけとか聞いていたけれどそんなことはございませんでしたわよ。でも、新宿に着いたときには疲れ果てて、HMVでtheピーズを買うのが精一杯、平積みになっていて試聴盤が用意してあってポスターまであってびっくりしたぞ。安孫子さんもハルさんも儲かるといいな。彼らみたいに媚びないやり方で、いつか私の本も平積みになったらいいな。


だらしかー

少し良くなった。昨日よりは落ち着いている。注意散漫な気もする。だるくて頭の中が気持ち悪い感じがある。でも、何が良くなったかって、明日病院に車で行くのをやめようかな、と思えるところだ。明日は雪かもしれないし、この状態じゃ危ない。
今日はプールに行けた。ぼんやり歩いて行ってぼんやり700泳いでウォーキングをした。ただでさえだるいのが余計だるくなった。
それでも小説は書いている。htmlにして見ると少し冷静に読み返すことが出来る。音読もする。プリントアウトもする。自分の中で溺れないようにそういう浮具をたくさん使う。


go躁病go! go!

ふらつくのでプールには行かなかった。四六時中どきどきするのは治まらない。昼間に出かけて外でもさんざん書いて気分が悪くなってしまった。眩暈と手の震えが止まらなくなったので慌てて帰ってきた。とにかく起きた瞬間から全力疾走モードに入っていてコントロールが効かない。眠るときも眠剤を飲まずに失神したように眠る、その繰り返し。


まだまだ爽快

眠れない食えない、がやばくなってきたので実家に緊急避難。鍋食って酒飲んでロドピン増量して5時間眠りました。これですっきり10時からの「水中ウォーキング教室」(プールで只でやってるやつ、結構運動になる)に出られるのか、それより小説を書き狂い続ける方がいいのか、爽快にして心揺れる3時17分なのです。


プレパラート

発病した頃は生真面目に病気のことが知りたくて「うつ」と書いてある本があれば見ていたものだ。しかし医者ってどうしてすぐに漱石だのゲーテだのも躁鬱だったと書くのだろう。彼らに病識があったわけじゃなし、どうしろって言うんだ。有名人の主治医にでもなりたいのか、いい加減にしやがれと思う。
あたしが鬱病のバイブルとしていたのは渡辺昌祐の書いた「うつ病は治る」だが、この本でさえ「みごとな鬱」なんて言葉が書いてある。あたしゃまだプレパラートになっちゃいないんだから「みごとな柿」とかと一緒にしないで欲しい。
病気の仲間よ、あたしらみんな標本なんだよ。


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