Diary

嵐の後に来るもの

朝、蒲田に帰ってきた。家を出る間際に親父が「金は足りてるか」と聞いた。ありがたいけれど恥ずかしいと思った。躁をねじ伏せると、世の中に引け目を感じるばかりなのだ。人に会うことでさえ迷惑なんじゃないかとか申し訳ないとか、躁の後に来るこの線は希死念慮に繋がりかねない、断ち切らないとやばい。
小説は書いている。駅前図書館で資料になるかもしれない本を6冊借りてきた。第五章以降は少し時間がかかるかもしれない。資料といっても、自分のなかで納得するだけのものもあるし、2,3個のセンテンスを直すだけかもしれない。とりあえず当面は、3月まではこの小説を書き続け直し続けていければいい。「仕事」をしていればいい。


車で行こまい

久しぶりに電車で医者に行く。所要時間1時間40分、乗り換え4回、うち座れたの2回、まー嫌。来週からは車で行こまい。車だったら1時間で行く。
嵐の過ぎ去った後のようですな、ええもう参りましたよ、みたいな問診の後、病院の裏口から西武線に乗る。西武線は乗客がみんなゲタ履いてるとか、砂利道だから電車の床が泥だらけとか聞いていたけれどそんなことはございませんでしたわよ。でも、新宿に着いたときには疲れ果てて、HMVでtheピーズを買うのが精一杯、平積みになっていて試聴盤が用意してあってポスターまであってびっくりしたぞ。安孫子さんもハルさんも儲かるといいな。彼らみたいに媚びないやり方で、いつか私の本も平積みになったらいいな。


だらしかー

少し良くなった。昨日よりは落ち着いている。注意散漫な気もする。だるくて頭の中が気持ち悪い感じがある。でも、何が良くなったかって、明日病院に車で行くのをやめようかな、と思えるところだ。明日は雪かもしれないし、この状態じゃ危ない。
今日はプールに行けた。ぼんやり歩いて行ってぼんやり700泳いでウォーキングをした。ただでさえだるいのが余計だるくなった。
それでも小説は書いている。htmlにして見ると少し冷静に読み返すことが出来る。音読もする。プリントアウトもする。自分の中で溺れないようにそういう浮具をたくさん使う。


go躁病go! go!

ふらつくのでプールには行かなかった。四六時中どきどきするのは治まらない。昼間に出かけて外でもさんざん書いて気分が悪くなってしまった。眩暈と手の震えが止まらなくなったので慌てて帰ってきた。とにかく起きた瞬間から全力疾走モードに入っていてコントロールが効かない。眠るときも眠剤を飲まずに失神したように眠る、その繰り返し。


まだまだ爽快

眠れない食えない、がやばくなってきたので実家に緊急避難。鍋食って酒飲んでロドピン増量して5時間眠りました。これですっきり10時からの「水中ウォーキング教室」(プールで只でやってるやつ、結構運動になる)に出られるのか、それより小説を書き狂い続ける方がいいのか、爽快にして心揺れる3時17分なのです。


プレパラート

発病した頃は生真面目に病気のことが知りたくて「うつ」と書いてある本があれば見ていたものだ。しかし医者ってどうしてすぐに漱石だのゲーテだのも躁鬱だったと書くのだろう。彼らに病識があったわけじゃなし、どうしろって言うんだ。有名人の主治医にでもなりたいのか、いい加減にしやがれと思う。
あたしが鬱病のバイブルとしていたのは渡辺昌祐の書いた「うつ病は治る」だが、この本でさえ「みごとな鬱」なんて言葉が書いてある。あたしゃまだプレパラートになっちゃいないんだから「みごとな柿」とかと一緒にしないで欲しい。
病気の仲間よ、あたしらみんな標本なんだよ。


手書き日記

乗り物酔いする人にはすすめられませんな。ファン垂涎の日記はこちら。


大げさな俺、うるさい俺

腹が減らない。ゴミの前日は干物を食べようと思っていたのに5時半頃にヴァームを吸ったらそれっきり腹が減らない。バナナも買って来たのにいらない。俺の人生、小説が書けて太らなければ大体オッケーなのである。試しに飯と味噌汁だけ食べてみたら、もうそれで満腹になってしまった。喜んでいいのか、一食くらいで騒ぐなって感じだが、躁がやかましいので、こんな読んでもなんの値打ちもない日記を書くのである。
ロドピンの減量が躁復活と関わっていると思われるのだが、こいつを下手に増やすと、昨日みたいな突発睡眠が怖いのだ。口んなかに物が残ってるんだぜ? 起きたら。医者に電話しようと思ったら明日は土曜なのだ。
騒いでねえでできるうちに仕事しろってな。はい。


ハタラク俺様

朝飯を食いながら寝ちまうのはロドピンのせいだ、埼玉の入院前の忘却1ヶ月の間にそういうのがあったのを思い出した。だが、物を書き始めて脳が興奮しているのでやめるわけにもいくまい。なんだか、いつまででも朝まででも仕事を続けられそうな感じなんだ。明日はどこで仕事をしようかなんて思うんだ、羽田か川崎か。脳みそがすごく柔らかくていつ何が飛び出してくるかわかんねんだ。俺が俺じゃないみたいな気持ち悪い感じ。これをずっと俺は待っていた。本当は人と話したくて仕方ないんだけど、躁っぽくなってるからなあ。9時に帰って来て今2時でずっとPCに向かいっぱなし。コーヒーは3杯目。音楽はこないだ買ったヨハンセンのカントリーブルース。


「ふふか」と書いて甲府と読め

大森区と蒲田区が合併して大田区というのは知っていた。大森区は田園調布なんぞもある住宅街で蒲田区は町工場など集まる工業地帯である。「蒲田区なんかと一緒にされて」と未だに思う人もいるらしい。
そのへんもう少し詳しく…と思って見回せばいるいる、歴史の生き証人が。いや、誰って程じゃない、うちのオヤジなんだけど。
明治時代 東京市 23区(山手線内側のみ旧市内)
昭和初 大東京市 35区(大森区、蒲田区、浅草区、四谷区など)
戦前   東京都  ↓ 
戦後    ↓  23区(明治時代とは違う区割り。
            練馬は遅れて板橋より独立した)
とまあ、こういうことらしい。戦前の地図帳の類を持ち出して教えてくれた。おお、樺太が千島が載っている。私は「和浦なんて街あったの?」と聞くバカ娘である。そういやかふふも右から書いてあった。


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