Diary

冬こそサマーベッド

家の中が寒いので物見台でひなたぼっこ。安物のサマーベッドを広げて昼寝した。

小説を大きくいじったが、よくないので元に戻すことにした。h稿からg−3稿へ。


第七回 絲山賞

絲山賞の説明とこれまでの受賞者一覧につきましては、トップ→プロフィール→絲山賞について でご覧ください。時期がいつもより少し早いですが、第七回 絲山賞を発表します。今回は、

「いい女vs.いい女」木下古栗氏 群像12月号

となりました。以下、選評のようなもの。

06年のデビュー以来、ずっと読み続けてきて、次第にとんでもない作家だと思うようになった。今回、これが彼のベストだろうか、ということでは少し悩んだ。好き嫌いで言えば、09年の「淫震度8」の方が好きかもしれない。だが、なにがベストかなんて考えること自体がこの人の著作に関しては間違いだと気づいた。私は単に、木下古栗氏の「この時期の作品」と同じ時代にいる、それだけのことである。

木下古栗氏の魅力はなんといっても、過剰に緻密な表現で描かれるばかばかしさである。ばかばかしいことはすばらしい。笑うことを期待して読んで、実際におかしいから笑う。だがその笑いは「不愉快」と隣り合わせの、ぞっとするようなところにある。笑っていた自分は、実は足を踏み外すぎりぎりのところにいたのだと思い知らされ、読者の特権と言ってもいい傲慢な視線はあっさりと否定される。

「いい女vs.いい女」では、この「不愉快さ」が、今までよりさらに鮮明になっていると感じた。エピソードの無意味さ、人物造形の無意味さ、ストーリー展開の無意味さ、そして読者である自分の無意味さをも突きつけられること。文学と読者がぐっと近づく場面において、こういう不愉快な経験こそが本物だったりする、こともある。「読み物」と「文学」の違いはそこにあるのかもしれない。

木下氏は書くことについて徹底して自覚的であり、すさまじい執着を持って実験的な小説に取り組んで来た。彼の小説の中ではすべてが普遍であり、同時に普遍などどこにもないとも言える。

長くなりました。なんの役にも立たない絲山賞ですが、一貫したその姿勢に敬意を表したいと思います。今後、ますますのご活躍を心より願っております。


今日は『炊事記』ゲラを仕上げて、断片が浮かんでいる新潮新作の原稿に手を入れるつもり。あと対談準備の読書も。


たくさん笑った

すばらしい夜明け。今朝の榛名は真っ白。ウチは降ったかどうかわからないけれど、草はばりばりに凍っていて、それでも犬を放したら平気で腹這いになって大好きなボールを噛んで遊んでいる。お腹冷やすよ。

太田の友人宅で野菜がいっぱいの美味しい昼食をご馳走になり、たくさん喋ってたくさん笑った。

群馬の人が、犬や猫を「一つ、二つ」と数えるのは本当だ。太田市内はスバル車比率が高い、というのも本当だ。「群馬県民手帳」の後ろの見返しに東京の地下鉄地図が載っている、というのも本当だ。東京駅で途方に暮れて田舎者と思われないように、大宮を過ぎたらさりげなくチェックしてスマートに乗り換えするのだ。


とりたて、つみたて(お金の話みたいだな)

昨日の鍋はすごかった。用意していた鶏ガラスープ(昆布、ネギ、ショウガ)はいつものやつだけど、入れたのは鶏肉以外、買って来た具材が殆どない!

今の時期最高なのが春菊。摘みたてだから生でむしゃむしゃいけます。「まだ生きてるよこいつ」って感じです。採りたての白菜は切っているときのぱりぱり感が買って来たものと全然違う。下仁田ネギの一番旨いところはなんといっても緑の三角のところ。そしてワカサギの師匠からいただいた大きなムキタケがスープを含んで抜群の風味でした。

地元のそんな食材をいただいた翌日、『絲的炊事記』のゲラやると、なんか違う人の生活を見てるみたいだ。


雀の居場所

朝の榛名は若い葦毛の馬くらいの色で雪化粧というほどでもなかった。真っ白だったのは浅間と、秩父山系の北面。こういう日は風が吹くなと思ったらやっぱり吹いた。今夜は冷え込みます。渋川より向こうではオーロラが見えるはず(ウソです)。

寒い朝、雀が家族くらいの小集団で寝ている場所は水の入っていない用水路。特にトンネル部分にいる。ちょっと前に茶色がそれに気がついて、毎朝溝に顔を突っ込んで雀を起こして歩くのが日課。

今夜は日頃お世話になっている二人と鍋やります。一人が「夕方野菜届けるから」って、散歩から帰ってきて見たら玄関の前が八百屋さん状態になってたよ。大根3本、白菜3個、下仁田ねぎ1箱、貴重なキャベツ、山のようなほうれん草と春菊、冬瓜などなど。嬉しいなあ。あちこちにまたお裾分けしたりはするけれど、それでも今年は野菜買わなくてよさそう。


法政のシラバス(授業計画)と朝日のエッセイ集「作家の口福」のゲラ直しを完了させた。

夕方の散歩で見た榛名は雪が降っている様子だった。夜中はみぞれの予報。


ゴロゴロはぐすぐす

旅行中に考えたこともあるので、今日は小説を書きたい。事務作業が多いと(まだたくさん残っている)小説が本業なんだってことを忘れそうになる。本末転倒はいつものこと。

昨日、服を買うとき改めて思ったこと。ズボンをパンツというだけでも抵抗があるのにましてや「スキニー」とやらは、若ぶっているみたいで言うのが照れくさい。もちろん「コーデ」なんて言葉は使えない。それは「勇気をもらった」とか「人として残念」といった言い回しと同じくらい無理。それなのに「ゴロゴロはぐすぐすなんだよ(キャスター付きトランクにそれほど荷物は入っていない、という意味)」と幼児みたいなことを言ってしまって、友達と笑った。言葉を生業としているのに、恥ずかしい。


熊本〜福岡〜新潟〜群馬

昨日の結婚式は盛大なものだったけれど、あたたかみがあって(九州の結婚式って、いつもそう感じます)来てよかったと心から思った。そのあとも、若い方たちの仲間に図々しく入れてもらって話せたのも楽しかった。それにしても、乾杯の後にルー・リード(といういかベルベット)のウェイティング・フォー・マイ・マンがかかる結婚式なんてはじめて。めちゃくちゃ受けた。

今日は福岡に戻って来て友達と会って水炊きを食べ、天神で買い物。来週の対談で着るものを見立ててもらいました。いつもメールはしているけれど、久しぶりに会えて嬉しかった。

4時の飛行機で新潟へ。関越は走り慣れているので、疲れを感じることなくスムーズに走ってこられました。しかし新潟から高速1000円って、ありがたみよりもまだ違和感の方が強いなあ。そして、どんな遠くでも熊谷ナンバーと横浜ナンバーは結構走っているのが不思議。移動する時間が私と似てるだけかな。


のろのろ走ると遠い新潟

自宅から新潟空港までは、通常2時間半。電車で羽田に行くのとおそらく30分くらいしか変わらない。ところが今回は魚沼あたりで暴風雨に襲われ(路肩の枯れ草が矢のように飛んできて、追い越し車線がたまった草でぬるぬるになってるなんてて初めて)とてもじゃないけどスピードなんか出せず、やっと収まったと思ったら50キロ制限で前方にパトカー、この便逃したら後がないんでどきどきしながらなんとか40分前に到着しました。

このところゆっくり小説のことを考える時間がなかったんだけど、久しぶりに飛行機のなかでばりばり書き、ゲラもやった。

博多では16人宴会。最近のことはすぐ忘れるくせに、昔のことは細かいことまで鮮明に覚えてるんで話が尽きず、あっという間に2時でした。

今日は熊本県で結婚式に出てきます。


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