Diary

街道(けぇど)を行ぐ

2003年(つまりデビュー当初)から考えている小説に関して動きがあり、新潮群像文春で3本同時に動くものから動かして行く。また無茶するのか私は。

来年の書籍化だが『末裔』のゲラ到着。(見ておかないと忘れてしまう)
その前に『ばかもの』文庫再校ゲラ。(ごく細かいところしか直しはないはず)
明日は『妻の超然』のゲラ到着予定。「作家の超然」の初校含む。

仕事とは全く関係なく、実は今、企んでいることがある。
最近ふと気づいたんだけど、群馬の県道はどうも100番代がおもしろい。一桁はメジャーすぎ、二桁県道もやはり老舗の道(意外に狭くて路面が悪い道もある)、200番代は普段あまり見ないが、100番代は地味だがそれなりに主要な場所を通っている。もちろん知られた峠もあるが、へえっと思うような味わい深い路線(他の県道や国道と並行していたり)もあったりして、どうも気になるのだ。
全部走破してみたいな、と思った。何年かけてもかまわない。
どうせなら白地図とか買ってきて塗ったりしたいな。

今日は涼しいのでやっと料理をするつもりになり、肉や野菜をあれこれ買ってきた。昼はゴーヤチャンプルー。(49円のゴーヤを半分使用、半分はスライスして冷凍)。夜はドライカレーにしようと思う、ナスとかトマトが食べたい。

昨日も榛名神社に行ったんだけど、2、3時間あったらすぐに山に登っちゃうっていうのはいい気晴らしだなあ。今まで決まった道しか(はなくそ道と本気道と呼び分けている)通っていなかったが、もっと榛名の道も知りたい。


犬の「残暑見舞い」

夏休みの宿題の「犬残暑見舞い」ができましたのでご披露します。

茶色より
「みなさまへ
ざんしょおみまい申し上げます。

みなさまは夕涼みをしますか?
私は夕涼みが大好きです。
少しまえですが、おかあさんが足の甲にキュウリのわ切りをのっけたまま、ビーサンをはいていたことがありました。
足にキュウリをのっけるなんて、へんな人だなあ、どうしたのかなあ、と思ってしばらく見ていたのですが、
気がつかないようなので、ぺろりと食べました。
すると、わ切りの下にやけどがありました。
おや、こんなところけがしてるじゃないの、と思ってそうっとなめてあげました。
そしたら、おかあさんは、
『ほろりとするねえ』と言いました。

あと、この夏の思い出はよなかにみんなでコンビニに行ったことでした。私たちがいい子で外で待っていたので、帰ってからからあげを分けてもらってみんなで食べました。とてもうれしかったです。

いとやま ちゃいろ」

牛より
「みなさまへ
ざんしょおみまいもうしあげます。
おかあさんは、ときどき、にんげんのじゅういさんに行きます。
そこで『ねること、食べること』がだいじだと言われたそうです。
そのとおりだと思います。
私はぜんぶできています。
あと、あそぶこともひつようだと思います。
このごろキャンプにいっていないので、つれていってほしいです。
ちゃーちゃんは海がきらいですが、私はどこでも大好きです。

いとやま うし」


今日はホームページ制作会社との打ち合わせ。
日記以外の部分(経歴とか)の更新と、今募集している【読者によるインタビュー2】について依頼をしました。予定通り9月中旬、15日前後にはアップできそうです。

その前後も、いただいている質問に対する答を作っていました。メールは一枚ずつ紙に印刷して熟読してから返事を考えて、紙にある程度書き込んでからExcel入力します。(手間かけてる割に大したことないお返事になるかもしれませんが)。そういえばラジオでいただいているメールも紙に出力して読むので、似た感じです。まだまだ時間も余力もありますし、質問にお答えすることは全く苦になりませんので、トップページ→コンタクト→一般の方からのメールのボタンからご応募ください。8/31までお待ちしています。


犬寸劇「本の題名」

朝の散歩で牛犬が振り返って言いました。
「おかあさん、本の題名、考えました」
「なんだい?(そんな宿題、出したっけ)」
「『八月の冬毛』っていうんです。どうですか?」
「悪くないけど、実際には汗かいた腕とか足におまえの冬毛がくっついて鬱陶しいよ」

バッタを探していた茶色も、こちらを見上げて言いました。
「おかあさん。わたしのは『ダルメシアンの末裔』です。どうですか」
「聞くところだとダルメシアンも入ってるらしいけど、おまえはどう見ても、日本犬の雑種だよ」
「じゃあ『グルメ時代劇 ひかえおろう』っていうのは」
「もうやめなさい。そんなこと考えるくらいだったらみなさんに残暑見舞いでも書きなさい」

そんなわけで、今、二匹とも腹這いになって残暑見舞いの内容を考えております。一両日中にはご披露できると思います。


自分にとっては、アルコール飲んだら運転できないというのと同じ要旨の発言のつもりだったが、薬(ベゲA+ロドピン)飲んだあとなので仕事の話は夜にしてくれの件でワタクシの表現が悪く、本の雑誌社と決裂。
躁病で仕事失う典型的な例。
9月売り原稿、近況までは送付済み。


嘘みたいな爽快感、それは嘘。

かなり良くなったというのは、本当だ。
昨日は一度も泣かなかったし、怒らなかった。
久しぶりに落ち着いて過ごせた。

でも、今朝のこの嘘みたいな爽快感、「やったー元気になったぞ!!」みたいな気分。
だめだろ。それ違うぞ。
一日で治る病気じゃない。
落ち着いたりだるくなったりちょっと鬱っぽくなったりしながら、治る。
睡眠も食事も足りてないんだから体力なんてあるわけがないのだ。
何度も経験しているのに、騙されそうになる。だって爽快なんだもん。

誰が来るわけでもないのに、無闇に風呂掃除だの、滅多にやらない机の掃除だのしているのはなぜだ。なぜ扇風機まで解体して拭いた?
iPodとiPod対応のコンポが欲しいから今日絶対に買うとか決心してるけど、なんだいつからだそんな趣味。
躁は、自分で疑って自分でブレーキをかけなければいけない。
でないとそれはエスカレートしていって、安いクルマだの高いクルマだの役に立たないクルマだのに変身する。
モノで済めばまだいいけれど、躁の勢いが崩れたときにどんな恐ろしかったか。それはつい数日前のことなのに。

街まで郵便を出しに行くのはやめよう。街にはヤマダ電機がある。
スーパーには行かなくちゃいけないけど、その後は薬飲んで犬の散歩まで無理矢理寝よう。ゲラは夜。


本日の牛くん

頭からお腹の半分まで犬小屋から外におっこちて(つまり残りの半分は犬小屋の中で)、そのまま寝ています。


まあ一日の長いこと

今回の躁は4年前よりはるかに強くなってしまった。
コントロールできる段階から、またさらに無理を重ねざるを得なかったのが悪化の理由。

当たり前のことができないと気持ちがさらに荒れるが、身近な人たちに助けてもらったり、本当によくしてもらっている。

今日はなんとか作業ができる状態。
本の雑誌「絲的モノ道具」ゲラ、映画パンフゲラ、近日打ち合わせをするこのサイトの更新、変更点などをやる。
涼しくなったら犬の散歩して、なんとか一日平穏に終わって欲しいなと時計を見たらなんとまだ正午。


どこも同じだけど

転勤がある全国メディアの群馬の支局からの取材依頼はいつも同じだ。
受け手である群馬の人が一番わかっていて、
私は足して7年だけど少し良さがわかってきて、
転勤族が一番何も知らないのに、なぜ彼らは、
私を使って「群馬の良さ」を、啓蒙しようとするのだろう。

逆を考えてみて欲しい。
東京在住の群馬出身者は、百回も二百回も「東京のよさ」を質問されますか?

たまたま、私は転勤で来て気に入った。
それだけのこと。
彼らが「群馬に来て嬉しい」と思っていないことなんて、一目見ればわかりますよ。
受け手に対して何が失礼とか考えたことはないんだろうか。

磯辺煎餅や焼きまんじゅうを地元の人に勧めるような扱われ方をされるのは、もうたくさんだ。
ここ数年とか最新の仕事で扱ったことに対する取材協力なら、殆ど断ったことはない。
だがしかし、いまさら芥川賞は恥ずかしい、やめて欲しい。
例えば野球選手に話を聞くのに5年前のデータだけ持ってきますか?
本の宣伝になるよとかそういった類についての答は「作家の超然」にもう書いた。


体調その他、かなりやばい状況。

新潮社単行本、文庫担当者と打ち合わせ。
装丁、再校ゲラ予定、サイン会の企画などについて。


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