Diary

「著者を囲む会」

昨日は、渋川市立図書館の「著者を囲む会」(講演、サイン会、読書会の方々とのお茶会)でした。落ち着いたいい雰囲気で、拙い講演の間も助けられましたし、サイン会、お茶会では私も楽しくお話させていただけました。ご来場くださった方々、読書会の方々、そして渋川市立図書館にお礼申し上げます。


忘れていたマーチング

毎年、高崎では「マーチングフェスティバル」というものが行われている。道という道を封鎖して、幼稚園から大人までパレードする大きなイベントである。

以前住んでいたアパートは、眺めは最高だし駅からも近かったが、マーチングの練習で一ヶ月くらい(?)大音響に包まれる場所だった。練習だから最初なんてばらんばらんですよ。実は「ばかもの」の冒頭のエッチな場面は、幼稚園の鼓笛隊の「踊るポンポコリン」の練習を聴きながら書いたのだ。相容れないものであった。つらかった。鼓笛隊と集中力の闘いから、アレは生まれた。

引っ越してすっかり忘れていたのだが、昨日がそのマーチングの日だったのだ。新潮社を迎えに西口に行こうとしたら全面通行止め。どっからどーやっても入れない、裏道から行っても無理。急遽国道に戻り、ぐるっと回って東口へ。早めに家を出ておいて正解でした。どーにもマーチングとは相性が悪い。


鬼の手も借りたい

昨日、登録書類の関係で整備工場に行ってアルファ146見てきました。状態もいいし8万キロと思えないほどキレイで、私には勿体ないようなクルマでした。80年代モノ、90年代モノと乗り継いで来て、今度のがやっと2000年のクルマになります。

今日は出かける用事がないのでぎっちり仕事。いつになったら楽になるんだろうと思ったけど年内は厳しい。でも来年は『末裔』も出るし、新作は一挙掲載だし、群像新人賞のあと4月からは法政が始まるし、群像の連載も考えなきゃいけないし、考えたら気が遠くなった。来年のことを言うと鬼が笑うそうだけど、鬼よ、笑ってないで手伝ってくれないか。


午前中、役場と郵便局。事務処理とゲラ。

午後、銀行経由エフエム。セレクションは「ハウ・アイ・ガット・オーバー」アレサ・フランクリン、エンディングは「枯れ葉」ビル・エバンス&ジェレミー・スタイグ。本のおすすめは辻原登著「闇の奥」。


一口に30年と申しますが

突然、初期のフィリップ・ソレルスが読みたくなって古書店から2冊購入した。最初に読んだのは30年前。同じシリーズで並んでいたル・クレジオの初期作品にはすーっと入っていけたんだけど、ソレルスは「かなり好きな感じだけど、よくわかんないからもう一度読もう」と思った。どーでもいーけど、ソレルスと私はちょうど30歳違い。(ええっ、楳図かずおさんと同い年?)30年後に自分の本があるかどうかなんてことは考えない。考えたくもない。

早朝から新潮の小説、あとは『末裔』ゲラ。役場だの銀行だの郵便局だのとちまちました用事はあるんだけれど、どうするかな。明日にするかもしれない。


19日、日記にならない

もちろんそれが一番の仕事なんですが、小説のことをあーでもないこーでもない、とやっていただけでした。日記に書けるようなことがなにもなくて、アップできませんでした。

行き詰まって犬の散歩に行くと、少し気分が変わって書くことが出てくる、こともある。理解できないと思うけれど、やつらには秘密にしておかねば。「おかーさん、散歩に行けば万事解決ですよ!」なんていちいち言われたら、やだもん。


ヒートテック解禁

今朝は冷え込んだ。

買いだめのタバコがとうとう尽きた。肉、野菜、牛乳、麺類をきれいに使い切った。ドッグフードもなくなった。ティーポのガソリンのランプまでついたので、まとめて買い物に出た。タバコはいつもカートン買いだけど、値上げをダイレクトに感じないように赤ワイン2本を一緒に買った。財布がすっからかんになった。

午後は「山の母」へのお届けものでちょろっと榛名湖へ。この「ちょろっと」の時間と体力がなかったのだ。ワカサギの話などで盛り上がる。まずは釣具屋へ行かないと。


サイン会のお礼と今後の予定

昨日は新宿 紀伊国屋書店本店でのサイン会。来てくださった方、どうもありがとうございました。初めてお目にかかる方も、何度か来てくださっている方ともお会いできて、嬉しかったです。

今後の予定は、24日(日)の渋川市立図書館での「著者を囲む会」(『妻の超然』を中心に講演)と、30日(土)の群馬県立点字図書館での「利用者と奉仕者のつどい」(『エスケイプ/アブセント』を中心に講演)です。これで人様の前に出る予定は(ラジオ以外)一段落となります。

来年4月からは、法政大学大学院(日本文学専攻)に新設された「作家特殊研究」の講義を一年間、担当させていただくことになりました。現在、講義概要の詳細を作っているところです。週一で市ヶ谷に通うことになるわけですが、午前中なので、毎回新橋で飲んだくれる心配はありません。概要は法政大学ホームページに掲載されています。

その前には新潮の新作をなんとか仕上げたいし、群像の連載の構想を固めて、文春の長編のとっかかりもちゃんと作っておきたいとこです。(できるかなそんなに)(「さてさてほほう」の歌が聞こえるぞ)

 

訂正について。渋川市立図書館の日程を当初私のミスで23日(土)と記しておりました。訂正とお詫び申し上げます。


昨日は新幹線の中や、仕事の打ち合わせが終わって外にいるときに小説のいろんなことが浮かんで、たくさんメモして帰ってきました。ずっとひきこもってたので、気分転換になるなあ。(喫煙者の私が言うのもなんですが、外に出ても空気の悪いのだけはほんとに辛い)

楽しく飲んで、高崎に帰って来て、いいなーと思うこと。駅前の駐車場で代行さんを呼ぶと5分か10分で来てくれる。名乗ったわけでもないのに、出発してすぐ代行さんが「絲山さん、最近ラジオ出てます? なんか声聞いてないような気がしたんですけど」と言う。「隔週だから、来週また出ますよ」もうこれで、我が家に帰って来たという感じ。切り替えて、そしてほっとする。


東京はいつも新橋

心の優しい方々になだめられて、犬は許しました。

東京で、来年の仕事についての重要な打ち合わせ。夜は、大学の同級生と飲む予定。

大学の同級生でも職場の同期でももっと古い友達でも新しい友達でも、野郎と東京で飲むのは必ずと言っていいほど新橋。私が言いだすわけではないが、いつも指定される街それは新橋。そいつの仕事がなんであろうと勤務地がどこであろうと自宅が遠かろうとなんでもかんでも新橋。もちろん帰りの東京駅に出やすい、という大人の気遣いがあるんだけど、それにしても有楽町ではなくまさか銀座なんてこともなく神田って感じでもなく意外と上野もなくていつも新橋。高崎で飲むのだって西口東口柳川町とあちこちなのに東京は常に新橋。多分、私の雰囲気、面構え、いでたち、色気ゼロなところが新橋なんだろう。学生時代には行ったことがなかったオヤジの街だが今となってみれば友達はみんなオッサン、だから新橋。だがフランス語で言えばポン・ヌフ。えーっ。


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