Diary

本日の牛くん

頭からお腹の半分まで犬小屋から外におっこちて(つまり残りの半分は犬小屋の中で)、そのまま寝ています。


まあ一日の長いこと

今回の躁は4年前よりはるかに強くなってしまった。
コントロールできる段階から、またさらに無理を重ねざるを得なかったのが悪化の理由。

当たり前のことができないと気持ちがさらに荒れるが、身近な人たちに助けてもらったり、本当によくしてもらっている。

今日はなんとか作業ができる状態。
本の雑誌「絲的モノ道具」ゲラ、映画パンフゲラ、近日打ち合わせをするこのサイトの更新、変更点などをやる。
涼しくなったら犬の散歩して、なんとか一日平穏に終わって欲しいなと時計を見たらなんとまだ正午。


どこも同じだけど

転勤がある全国メディアの群馬の支局からの取材依頼はいつも同じだ。
受け手である群馬の人が一番わかっていて、
私は足して7年だけど少し良さがわかってきて、
転勤族が一番何も知らないのに、なぜ彼らは、
私を使って「群馬の良さ」を、啓蒙しようとするのだろう。

逆を考えてみて欲しい。
東京在住の群馬出身者は、百回も二百回も「東京のよさ」を質問されますか?

たまたま、私は転勤で来て気に入った。
それだけのこと。
彼らが「群馬に来て嬉しい」と思っていないことなんて、一目見ればわかりますよ。
受け手に対して何が失礼とか考えたことはないんだろうか。

磯辺煎餅や焼きまんじゅうを地元の人に勧めるような扱われ方をされるのは、もうたくさんだ。
ここ数年とか最新の仕事で扱ったことに対する取材協力なら、殆ど断ったことはない。
だがしかし、いまさら芥川賞は恥ずかしい、やめて欲しい。
例えば野球選手に話を聞くのに5年前のデータだけ持ってきますか?
本の宣伝になるよとかそういった類についての答は「作家の超然」にもう書いた。


体調その他、かなりやばい状況。

新潮社単行本、文庫担当者と打ち合わせ。
装丁、再校ゲラ予定、サイン会の企画などについて。


ラジオの元気

よそに書いたものからの転載なのでちょっと文体違うかもしれませんがラジオの話。

ラジオは元気だって話を、最近あちこちで聞きます。
実際に、出ていても聴いていても感じます。
私の知っている範囲では、新聞や雑誌に比べてもすごく元気だと思う。
(テレビのことはすみません、よくわからない)
若い人が最近増えている。
4年間やってる私の番組も、そうです。それも小学生、中学生、高校生がどんどんメールくれるようになった。
幅が広がってくれば当然、こっちも楽しい。
もちろん好き嫌いはあるから、全員聞いてくださいなんてことは思っていない。何かしながらテキトーに流すものだし。

元気ってことは自由ってことともちょっと繋がる。
逆に言えば、元気がないと中身が不自由になる。
つまり、おっかなびっくりになる。 安全策考えすぎたら中途半端になる。

なんだろーって考えたんですよ。
すごい人気がある平日昼間の番組で、毎年限定(1人2枚まで)のタオルが出るんだけれど、決して安くはないのに、去年は1時間で3000枚、今年も2時間半で5000枚売り切れた。
思い切ったいろんな企画ができるのは元気だからだと思う。

前にどこかで書いたかもしれないけれど、『絲的サバイバル』の帯に書いてあるキャッチコピー、あれ全部募集してリスナーが考えてくれたものなんですよ。200以上来たかな。
自分でもびっくりした。嬉しかった。そんで面白かった。(手前味噌?)

リスナーがすごく近いから?
近いけど、それだけじゃない。
愛があるから?
そりゃ、あるけど愛じゃ何も解決しない。

私が思うのは、小さくてもいいから、なにか新しいことやろうよって言って、それが成功したっていう手応えを感じること。
小さな成功体験を重ねることで、元気になれる。
そして、その雰囲気や勢いって人に伝わる。絶対伝わると思う。

確かに市況は悪い。スポンサーはどんどん減ってる。
でも少なくとも私(外部レギュラー)の立場では、泣き言なんて殆ど聞かない。 (ないわけじゃないけど、そこに流されない)
この元気で、悪い時代をなんとか持ちこたえられると思うし、なくなっては困るコミュニケーションだと信じられる。

あんなミもフタもない小説書いておいて何言ってんだって思われるかもしれませんが、
これは以前から思っていたこと。
やっと言葉でまとまったのでこっちにも書いておきます。


献本リストなど

今朝は曇天。山々は見えないが、涼しい。
洗濯機を回しながら、長い散歩に行った。
もう少し涼しい時期になったら犬ども(親は恥ずかしげもなく孫と言う)連れて東京の実家に行くかと思う。もっと近い犬の実家にもお邪魔したい。

9月末刊行『妻の超然』の献本リストを作っている。
小説を出すのは「ばかもの」以来なので意外に手間取る。
「著者謹呈帯」を入れるのは、現在担当で動いてくださっている各出版社の編集者、翻訳エージェント、私にいつも新刊を送ってくださる作家(数人だがものすごい方々)、取材協力してくれた方、FMぐんま。今回はお世話になった映画関係の方々も。
他の作家はどうしているかわからないけれど私はこんな感じです。
出版社からは「乞御高評帯」で、新聞や雑誌、書評家、作家そのほかいろいろなところに送っているはずだが内容を聞いたことはない。
自分用の見本は10冊。
ここから親や日頃お世話になっている人にあげるのだが当然冊数が足りなくて、Amazonなど通販で書い足すことになる。出版社から買えば、微々たる著者割引はあるが、過去に某社が間違いで架空の請求をあげてきて処理に手間取ったので二度と使わない。編集者は営業マンじゃないから伝票処理は得意じゃないのだ。
ぶっとんで小説書いてるだけじゃなくて、自営業者なのでこういう細かいこともやらないかんのです。

今日は資料とか、自分のイメージが広がるものをあれこれ読みたいと思っている。
心の姑が牛乳が酸っぱいと怒っているので、買い物も行かなくては。

夕方FM。おすすめ本は暮らしの手帖社「おそうざいふう外国料理」、セレクションはボストン「ア・マン・アイル・ネバー・ビー」(邦題「遥かなる思い」だったかな)、エンディングテーマはシカゴ「サタデー・イン・ザ・パーク」。松浦さんとの対談が上毛新聞でも取り上げられたので、ご報告と来場者へのお礼も申し上げたい。(前橋文学館であんなに沢山来てくださるとはびっくりでした。ありがとうございました)


新しい小説の準備

次の小説(群像)のために、海外の小説について、誰かと話す必要があった。
もちろん、書き始めてからでいい。半年後か一年後に書きかけの小説の展開とその本を重ねてセッションができればいい。
できれば私の書いたものを知っている人で、作家ではない方がいい、そういう人がいないか探していた。たまたま講談社ではいなかった。
そしてみつけた。
私の小説を7本翻訳してくれたハンガリーの人だ。
「これから私が読んでは、遅いですか?」
彼女はそう言った。私のシリーズと同じ版元から、ハンガリー語にも訳されている、と。
どう言ったらいいだろう、そのときの嬉しさは。
雨戸を開けたときの眩しさや、梯子をみつけたような気持ちだ。

もう一本の新潮の小説も、早く主人公が歩いていた場所を探しに行きたくてうずうずしているのだ。
そいつのために、自分が何を知らなければいけないのか、まだわからない。
でも、なにか確実なものがある。

書き終わってしまったものは、自分の中では一秒でも早く廃(すた)れればいいと思う。


昨日は、遅くまで人と話し込んでいた。
普段話さない分野の話を聞いたり意見交換できて充実した時間だった。

点検から戻ってきたクーペの調子がとてもいい。
タイヤを替えたり、細かい部品を替えたこともあるけれど、これが10万3000キロの走りなのか。
高速乗って旅行に行きたくなる。

【読者インタビュー 2】お陰さまで数々のすばらしい質問をいただいています。人数の上限はありませんので、一人三問まで全てお答えします。迷った方はこのサイトの【読者によるインタビュー】をご覧ください8/31まで時間はたっぷりありますので、ご都合のいいときにどうぞ。


「作家の超然」のこと

今まで、どんな小説でも一旦文芸誌で活字になってしまえば、動物の(全部じゃないけど多くの種の)父親のように知らん、忘れた、という気持ちと態度でいたのですが、
どうも「作家の超然」ばかりは、自分から生まれた子供がアルマジロだった(マルケスから持ってくるところがが安易すぎるなあ)という感じで、率直なところ戸惑っています。

小説ですから主人公と私は関係あるように見えても別物ですし、内容だってでたらめなわけですが、生まれてしまったアルマジロを見つめておまえは一体なんなんだ、と考えてしまう。愛着とはまた違う奇妙な感じです。(愛着という意味では「末裔」の省三の方がよほどある)。
単行本で大幅に直すってことはないんだけど、こういうのは初めてです。

だからって読者の感想が聞きたいとかそーゆーのは、ないんです。そこはいつもと変わらない。(送っていただくのは、読者インタビューの質問の方がずっと嬉しいです)
読み手の受け取り方と、私の動揺はまた違うものだと思っていますので。

朝っぱらからぐだぐだ書いてしまいました。

余震のようにいくつも新しい小説のシーンが下りてきています。しばらくは、ふやふやとそれを追いかけるしかないんだろうな。


現状報告

数日前までの自分は、パドックで入れ込みすぎて消耗しちゃったり、ゲートの中で暴れる馬みたいだった。
今は草食ってる馬。(メシはあんまり食えてないけど)
やっと落ち着いた。
ぬるい風呂にゆっくり入った。


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