Diary

「作家の超然」のこと

今まで、どんな小説でも一旦文芸誌で活字になってしまえば、動物の(全部じゃないけど多くの種の)父親のように知らん、忘れた、という気持ちと態度でいたのですが、
どうも「作家の超然」ばかりは、自分から生まれた子供がアルマジロだった(マルケスから持ってくるところがが安易すぎるなあ)という感じで、率直なところ戸惑っています。

小説ですから主人公と私は関係あるように見えても別物ですし、内容だってでたらめなわけですが、生まれてしまったアルマジロを見つめておまえは一体なんなんだ、と考えてしまう。愛着とはまた違う奇妙な感じです。(愛着という意味では「末裔」の省三の方がよほどある)。
単行本で大幅に直すってことはないんだけど、こういうのは初めてです。

だからって読者の感想が聞きたいとかそーゆーのは、ないんです。そこはいつもと変わらない。(送っていただくのは、読者インタビューの質問の方がずっと嬉しいです)
読み手の受け取り方と、私の動揺はまた違うものだと思っていますので。

朝っぱらからぐだぐだ書いてしまいました。

余震のようにいくつも新しい小説のシーンが下りてきています。しばらくは、ふやふやとそれを追いかけるしかないんだろうな。


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