Diary

小姑入門編

1時間ほど遅れてやって来たペーパー兄貴を乗せて調布へ。裏道が鬼のように混んでいる。強引に右折してきて後ろに下がれと言うバカと喧嘩する。「てめえみてえなバカがいるから道が混むんだこの野郎(言ったまま)」エンジンをとめて「ぶつけてみろ」とすごむが、結局後ろが下がってくれたので5センチだけ下がる。助手席のペーパー兄貴は「バーカ、バーカ、うひひ」と踊っている、すごく楽しそうだ、大丈夫だろうか。
嫁は携帯になかなか出ない、いつものことらしい。ハワイに行ったらしい、新婚旅行まだだろ、知ったこっちゃないけど。調布の兄のアパートから最後の荷物を車に積んで帰ってくる。嫁は来ていた「おつかれさまですぅ」動く気配はない。運べよ! 雨のなかで兄と父と荷物を車から積み出す。
いい加減な人たち相手にすんのはしんどい。イライラする。イライラする。イライラする。でもそれを隠してる。すごく疲れた。飯なんか一緒に食わずに荷物だけ運んだら運送屋みたいに帰れば良かった。


衝動衝動逆巻く衝動

蒲田に駐車場が借りたい。ものすごく借りたい。好きな時に黙って車に乗りたい。実家に行くのも楽になるし。飲み代削ったら借りられるかなあ。
いやいや、でももう少し待とう。躁鬱の時は何も決めないがいいのだ。判っているはずだ。
てんこ盛り年末年始予定公開 他に正月に開いてるいいところあったらアドバイスください。


ペーパー兄貴

ロドピンが効いている。昨日よりはまし。感情がなくなるのは致し方ない。
冬タイヤ諦めたと言った途端、明日の午後、明後日と雪らしいが大丈夫なのか。明日は兄の引っ越し手伝い。車だけ貸して遠慮したいのだがどいつもこいつも運転ができないときている。ペーパードライバーとかってよく恥ずかしくないよな。駐車場借りる金がなくて実家に車止めてる方が恥ずかしいか、そうか。


新しい者ども

引っ越しの駄賃に兄の14型テレビがやって来た。リモコンレスである。一度映るかどうか試しただけで全然見ていない。あまりにも見ないようだったらロフトに上げてビデオ専用にしてもいいや。ビデオは持ってるのよ、馬の試合とか撮ってたから。
心ある人が送ってくれたOS9.2.1をインストールする。簡単なことが設定できてなくて、ネットを使えるようになるまで2時間くらいかかった。ブラウザがIE5になった。まだどこがいいのかよく判らないけれど、8.6だと対応ソフトがなくなってきてるからね。
「いつもお元気そうね」と大家さんに言われた。「私いつも元気なんです」と大嘘をついた。ほんとは気が違ってますとも言えないもんなあ。
薬の副作用をあまり感じなくなった。昨日とかは手が小刻みに震えてたんだけど今は大丈夫。薬飲んですぐ寝ちゃうのも昨日の昼からなくなった。口が渇くのだけはしかたない、飴舐めてる。


もうたくさんだ

横になっていて思った、我ながら見苦しいな、と。病気なんだからつらくて寝てるのは仕方ないじゃないか。治療のために嫌な薬を飲むのも当然じゃないか。初めてじゃあるまいし、薬にはじき慣れる。待合室の老人じゃないんだから、健康状態の報告はポイントでいい、つらくて物を考えられなければ書かなければいい。
ロドピン2というのを今日の午後書いたけど、削除する。


ロドピン

いよいよ躁らしくなってきた。落ち着かない、集中力がない、イライラする、頭に違和感がある。自分の頭じゃないような、頭が木とか石でできているようなそういう違和感だ。試しに砲丸投げの球でも当ててみたい。どんな音がするのだろう。
暴れる代わりに掃除をする。無理やり飯を食う、まだ味覚はある。人と会ったらいけない、人と喋ったらいけない、外に出たら危ない、もう既に暴走は始まっている。曲がりくねった坂を降りていく無人の汽車、加速は止まらない、ブレーキがかからない。
抗鬱剤をやめても何も変わらなかった、リチウムを増やしても効かなかった。ブレーキはある、うちに46包も残っているロドピンでぐったりさせるのだ、ものすごく嫌な気分になって動けなくなる。冷たいセメントで固められたみたいになる。飯食ってると箸がぽろっと落ちて眠ってしまったりするんだ。あんなもん飲むのは嫌だ、自分のなかで多数決で嫌だ。だけど、残った正気の奴が病院に電話をした。先生は朝、夕、寝る前に飲んでくださいと言った。明日病院に来てもいいですよと言ったけれど、ロドピンが効いたらあんな遠くに行くのは難しい。薬の量はあるので様子を見てみますと言った。
薬を飲んだ。ずいぶん前にさ、今年はもう終わりって言ったけど、終わったよ、これで。


羊の数

躁病になるとやたらと人に電話をしたり手紙を書いたりする、そういうものらしい。俺も入院するときは知りあいに徹底的に葉書を出しまくった、まるで引っ越しのような騒ぎだった。
今回俺はひりひりするくらい自制していた。日記はごらんのように沢山書いた、あと母とは一日二本ずつくらいメールをしていた。
っとそこへ、正月である、年賀状である。薄いベージュの葉書にコンテで羊を描きまくる。コリー犬みたいのとか、悲しそうなのとか、いろいろ出来て楽しい。お年玉付き年賀葉書じゃないから、あまりにも出来の悪いやつはぱっぱか捨てる。
羊の数を数えながら気が付いた、友達減ったなあ。別に物置に乗ったり、富士山の上でおにぎりを食べるわけじゃないからいいんだけどさ。


消耗病

躁は火傷に似ている。何かに夢中になっても、一瞬和んでも、少しすると冷やすのを忘れた火傷のように熱を持って痛みだす。
以前tipoの回転数が3000より下がらなくなってしまった時があった、信号待ちのアイドリングでも3000以上だった、そのままだとエンジンが焼けつくことが予想されたので牽引を選んだ。俺はそのとき車が躁になったと思ったものだ。
俺にとって躁の大半は多幸感ではなく、焦燥と衝動と怒りだ。行動量は増加し、食欲は減る。睡眠はまだ大丈夫だ。禿先生は「躁病は消耗病とも言うくらいでね」と言ったがまさにその通り。消耗の後には必ず鬱が来る。躁が重い程鬱も重くなる。躁は心のバブルだ、その後には大不況がやってくる。(バブルも誤解してる奴がいるけどそれこそみんな死ぬほど働いたんだぜ)


無関係感

今日は少しイライラしているが、そのイライラは快い。
八重洲についたのはちょうど昼時だった。四方八方からいろんな色の歯車が転がり出てきて思い思いに喋りながら狭い路地を埋め尽くした。13年前の夏、この辺りで会社訪問をしていたときにはこれほどの違和感はなかった。そういう言葉はないが、違和感というより無関係感と言った方が近いかもしれない。
群銀と福銀のATMは2基ずつしかないのだが、予想通り両方とも待っている客などいなかったので用事は快適に済んだ。東京駅に戻ると今度はイナカモノばかり、私の周波数はこっちに近い、ちゃんと人間が人間に見えるもの。蒲田に帰ってきて郵便局でJCBカードも受け取って今年の金融関係は終わり、銀行強盗でもしないかぎり用はない。
いつもの八百屋で野菜を買った、例の美声のお兄さんが出てきたところでリンゴを一つくれた。小難しい顔をしていたのがいっぺんにふっとんだ。


旅の終わり

銭湯に行ってやっと「ああ俺は今日旅行にいきたかったんだ」と気づいた。洗い場に入ると海をへだてて富士山というつい8時間程前に見た風景が。ああ、俺は温泉に来たかったんだ、と気づいてじゃぼんと黒湯に浸かる。ああ、そんなつもりならチンジャオなんぞ食わずに素直に買ってきたアジの干物を食うんだったな。で、なんだこの後は、酒か、日本酒はないぞ、ジントニックしかない、あんだよそりゃ、伊豆の気分台なしじゃんよ、自問自答しながら寒い夜は更けていくのだった。


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