2002/11/26 火曜日
蒲田に住んで、水道の水がまずくない。飲み屋に行ってもそのまま水道水をチェイサーで飲める。世田谷じゃ考えられないことだ。実家の水は泥というかナマズ臭い。とても飲めない。どっちも高架水槽は使わず直接管から来ているから条件は変わらない。水源が違うのかと思って両方の水道局に電話して根掘り葉掘り聞いてみた。しかし、どっちも朝霞浄水場メインにあとは美里などのブレンド、要は利根川の川下の水なのだ。どっちも不味いに決まってるはずなのになんでこんなに味が違うのかわからない。私の舌がいい加減なのか、明日500のペットボトルに水道水を詰めて持って帰って利き水をしてみよう。
【利き水の結果】
蒲田の水と世田谷の水をコップに入れて飲んでみた、母親にもつきあわせた。どっちがどっちと言わなくてもはっきりわかった。世田谷の水は泥臭くて苦い。不思議だ。
2002/11/25 月曜日
結局ここに来た。美味しいコーヒーを飲んで心がほぐれるのを感じた。
地上には常に宇宙から細かい粒子かなにかが降り注いでいると何かで読んだ、非科学的だが物が書ける店というのは着想や会話が通常の5倍も10倍も降り注いでいる。誰のものだかどの物語かもわからない会話を書き留めながらあたしは初雪を見上げる気持ちになる。
2002/11/24 日曜日
俺の誕生日も忘れていたオンナは昨日も飲みすぎたらしい。散々御託を並べたあげく「帰ル」と呟きながら眠ってしまった。まだ夜9時じゃんよ、飲もうと思って楽しみにしてた俺は仕方ない、仕事だ。ソフトボーイズをかけて、前に書いた小説をいじる。やけにはかどる、これはこれでいいのか。一段落したらジントニックを飲もう。
2002/11/23 土曜日
it’s only talk 完結。もういいだろうと思った。さしおり、というのは熊本弁で「とりあえず」という意味。しばらくしてもう一度だけ直しを入れるかもしれないけれど今はこれでいいや。長かった、書いていて面白かった。
はい、次いってみよー。(ドリフの大道具片づけの音楽が頭の中で鳴っている)
2002/11/22 金曜日
寝坊した。揚物を食べた。近所の豆屋でコーヒーミルを注文した。昼寝した。少し頭が痛いけれど飲みに行く。
物の価値がわからない日というのはある。そういう日は書かないで寝ていた方がいい。天がくれた休日だと思った方がいい。客の来ない店をしのいでいくのと変わらない。
2002/11/21 木曜日
大井競馬場に行ってきた。大森からは無料のバスが出ていた。なんていうか、くすんだ雰囲気の人が多くて、特に帰りはマイナスの空気が強く漂っていた。流行りのマイナスイオンにあたりたい奴は乗ってみることをおすすめする。ひどく疲れるよ。
博才がないのはしっていたが、ほんとに全くかすりもしなかった。キレイさっぱり一万円持っていかれた。いや、一応名目はあったのよ、次の小説で地方競馬のエピソードを入れたいと思っているから、いいわけがましいが。
2002/11/20 水曜日
「『病気じゃない』と人に言われたらどう答えたもんですかね」医者に聞いてみた。
「躁とか鬱そのものが異常なのではなくて、程度の問題ですね。ふつうの人と違って状況や努力などでは変えることが出来ないから薬を飲んでいるわけです」簡潔にして明快、プロの答えだ。
2002/11/19 火曜日
2個目の虫歯に着手する。俺様の口の中は虫歯のメッカというかチェルノブイリというかとにかくどうしようもない状態なのでこの際まとめて治療を続けることにする。歯医者では軽いクラシックがかかっているが、もしこれが浪曲や初期のクリムゾンだったらいやだな。いっそパンクならいさぎよく削られてやろうと思うだろうか。効かない麻酔に耐えながらスーパーで演歌がかかっていたら嫌だなとか役所でブルースがかかっているのも困るなとか職安でクレイジーキャッツはどうだろうかとか必死で考える。下らない男だがでもまだ痛えよ。
実家に帰ればおふくろがが「どこにいるのか定規、誰か定規を知らないか」と歌っている。「上海帰りのリル」である。俺が笑うと「私達の年代はみんなそうやって物を探すのよ」と言う。ほんまかいな。
2002/11/18 月曜日
夕べオトコが部屋に来て「おまえは病気じゃない」と言い出した。壁に貼ってある薬(薬歴の写真参照)を「あんなことをして病気だと思い込んでいる、だれしも病気だ」と言った。自分の部屋に何を貼ろうが知ったこっちゃないだろう。私はブチ切れて壁の薬を全部剥がして黙って投げ散らした。ここ最近は確かに調子がいい、だけど調子が悪いときでも外見からはわからない、「短いつきあいだしなんの知識もないくせにわかったようなことを言わないで欲しい」と私は言った。言いながら再発したらコイツとも終わりだなと思った。絶対とは言わないが躁鬱はかなりの確率でほぼ一生再発を繰り返す。調子のいい時だけの相手か。そんなことを言っても仕方ないから黙っているとふてくされるオンナが一番嫌いだとオトコは言った。私はトンネルの入り口にむかって走っている汽車なのだ。一つ抜けてもまた別のトンネルがある、そういう路線にいるのだから仕方がないだろう。トンネルの手前の駅で降りてもらうよ。
たまには痴話話。女同士の電話みたいな話。
2002/11/17 日曜日
冷えピタを貼って早く寝たので風邪は退散したらしい。掃除、洗濯をしてすっきりする。うん、ほんとすっきりした。
母は口癖のように「あなたまたお勤めに出たらそのときは…」という。父は昔マスコミに入れたがっていた、お義理に毎日新聞の願書を貰いに行ってこっそり捨てた。院に行こうかなと相談したら就職はどうするんだとどえらい叱られた。姉に到っては私が物を書くと言っただけでいやな顔をした、それは彼女の夢だったからだ。兄とはまじめに話したことがないからわからない。
だが、私に再就職する気は毛頭ない。バイトはするけれど、企業はもういい。友達は「パトロンを見つけて結婚したら」と言う。そんなうまい話があればその時考える。いろんな人から「お仕事は? どうやって生計をたてているの?」と聞かれる。私は気が小さいから面と向かっては言えないが大きなお世話である。あんたに金の無心はしないよ。
糸山さんから手紙と写真が来た、ちょうど私の出した礼状と行き違いだ。(いつも私には馬の切手を選んで貼ってくださる)「大いに書き、且、飲んでください」先日会ったときも最初の挨拶が「書いてますか?」だった。糸山さん姉弟はたとえ売れなくても物書きは物書きだと接してくれる。亡くなったおじさんが司法試験を落ち続けた人だったということもあるのだろうか。私は親兄弟以上に近しく感じることがある。
すべてに対する答えは私が書き続けることだけだ。