Diary

同じ手口

夕べ、書評の第二稿を出して寝た。
今日はだれている。
大体、いままでかまっていなかったのに、さあ小説だ、と言ったって、全く新しい小説が犬みたいに尻尾ふって飛んでくるわけがないのだ。これから大事にやりますから、と言って、強みも弱みも見せて、小説に信用してもらうほかない。それってなんか新規の現場を受注する手口と同じだな。私はどんな仕事をしても同じになってしまうのかもしれない。
夕方、馬に乗ってくる。


忘れ物

「ニート」ゲラ郵送。週間文春「街物語」エッセイ第一稿送付。あとは書評と新作しかやることがない。「しか」と言っても小説は5本。

しかし自分でだめだなあと思ったのはパソコンを新しくしてメールアドレスを全てインポートしたつもりが、抜けがあったこと(電話でメールアドレスを聞く間抜けぶり)、これまでいただいた名刺の類を全部東京に置いてきたこと。3週間もいるのにそれじゃだめだわな。20日に日帰り出張しようと思っていたけど、一旦家に戻るかなあ。居所が2カ所あると、こういうことになるんだ。


明日こそ煮込む

今朝は晴れ上がり、風はびゅうびゅう吹いているが、山はすばらしい。上越国境までなんでも見えて痛快だ。
トマトがうまい。近所のもので、プチトマトと普通のトマトのちょうど中間くらいの大きさのやつだが、甘くて実が詰まっていて畑で熟れているのに適度な堅さがあって、朝飯にしてもおやつにしてもとまらない。塩もドレッシングも何もいらない。
それでもまだトマト味に懲りずに牛筋のトマト煮を作ろうと思って材料を買い集めてきたが、書評や新作など仕事もはかどっているので今日のところは仕事を選んでやった。明日は牛筋優先でいく。


60のち120

通院後群馬へ。今回は月末頃までいる予定。忘れ物ないだろうな。
関越は川越のあたりでものすごい土砂降りで、このワタクシが60キロで走ったほど。途中で雨は上がったが、着いたらすごい風。山のあたりには陰惨な感じの雲がたまっている。ここんとこ、ちょっと寝不足だったので家に着くなりごうごう寝た。
これから角川と絲的のゲラをやります。


部屋がきたない

朝、地域センターに期日前投票に行く。人が多くて驚いた。
明日から群馬なので荷造り。通院の都合がつけば下旬までいるんだけれど、その頃ってどのくらい涼しくなるのかよくわからない。荷造りがすすんでも部屋が片づかないのはどうしたものか、と嘆きつつ「ニート」の再校ゲラに逃避する。逃避じゃないよ、こっちが本業だ。
午後は文春打ち合わせ。


媒体

雑誌などの媒体によって、小説のカラーを変えているのか、とよく聞かれる。私の場合、媒体次第で全然違う。でもそれは会社ではなくて、編集者によって違ってくるのだ。こういう題材はこの人と一緒にやりたい、こっちの素材はこの人に読んでほしい、ということによる。結果的に、新潮だとこういう作品、講談社だとこう、角川だとこう、ということになる。人事異動があればまた書きたいことが変わってくるから面白い。

今日は久しぶりに寝坊。夕方から角川打ち合わせ。


一年とか言われても

昨日殆ど仕上げた絲的メイソウ二回分を直しまくって完成させて送付。頑張った、ああ疲れた。

東京の家に越してきて明日で一年だが、なんでしょうね。なんの感慨もありませんね。どうせもう住民票ここにはないしね。この一年いろんなことがあったなーとか、全然思わないなあ。あんまり自分が進歩したとも思わないし。感性が弱ってるのか、単にこの街がキライなだけなのか。だんだんそうやって乾いたババアになっていくのだなあ。


新ラウンド

この夏はずいぶん短編を濫発したが、一段落ついた。ここのところはエッセイが多かったが体調も元に戻ってまた小説が書きたくなってきた。群像、新潮、文學界、エソラ、テーマは全部決まっているけれど、まだどれも動き出してはいない。

全然関係ないけど今日は美味しいパスタを食べた。


地下鉄に酔う

クルマと自転車しか乗らない私が、昨夜久しぶりに地下鉄なんてものに乗ったらすっかり気持ち悪くなってしまった。チェーンスモーカーの私に空気が悪い、なんて言う資格があるのかどうかわからないが、酸素が足りない! という感じで苦しかった。以前も新潮社に行く途中にそういうことがあった。もうちょっと慣れないとなあ。

「袋小路の男」の韓国語版が出来た。他の本も韓国や台湾中心に翻訳の予定があるし、英語のサンプル訳も見たことがあるけれど、本を手にとるのは初めてのことでどきどきした。表紙は日本版と違うけれど趣味がいいと思う。ハングルの絲山秋子というのも初めて見た。七文字だから自分でも書けるように練習してみよう。


締め切りは遠い方から

特に夜は、群馬と比べて2~3℃か、もう少し違う。肌で感じる。東京では枕元の扇風機がまだ活躍している。

エッセイが書けるようになってきて、ああ助かった、と思う。小説と違ってエッセイは何かを面白がる心がないと書けないからだ、少なくとも私の場合はそうだ。だから鬱のときは完全に止まってしまう。
でも、締め切りの遠い方からできてくるというのはエッセイも小説も同じで困ったものだ。
今夜はずっと先のエソラの小説の打ち合わせをするんだけれど、小説現代と同じ担当者だから、まだ仕上がっていない絲的のことが気にならないわけがない。出来たてほやほやを持っていけたらいいんだろうけど、ちょっと厳しい。


TOP