Diary

横浜観光

友遠方より来る三日目
中華街で飲茶定食を客人が奢ってくれた。昨日の鍋の材料と手間代とさらりと言われる、気持ちだけでもありがたい。1週間分の脂と1日分の食材を早いペースで食べてから、定番コースに繰り出した。大桟橋からみなとみらい21の方にかけて道は整備されていて迷う心配も次の目標を見失う心配もない、人は多い、カップルが多い、海は青黒く潮の匂いは殆どなく、風が舞う、大中小さまざまの赤い福袋が私を狙うが今日は捕まらない。
帰り道、寿司食う? と聞いたが今日はもういいね、ということになる。帰って来てそれぞれのコーヒーを延々飲む。少し疲れてきているのか、いろんな言葉が浮かばない。オムニバスアルバムだとかブライアン・ジョーンズとか、言葉が出てくるまで30分以上かかる。


ギャレー

狭い部屋というのは船に似ている。客を呼ぶと本当の暮らしはなくなるけれど、括弧で括られた暮らしに似たことはついてくる。
オトコ、じゃなくて友達とか居候の場合、当番で舵をとるようにどちらかが起きている。なぜ、みんなよく眠るのか、なぜ、私がよく眠るのか。それは狭い空間で沈黙を有すために眠るんじゃないか。案外私が寝過ぎても怒られない。安心して孤独をむさぼっていられるからかもしれない。
船の調理場をギャレーという。白菜や大根のような大物と対峙するにはいささか狭い。コンロは一つしかない。食器が二人分になると洗いカゴの中は点で支えられた混沌と化す。根菜を置くには食器を片づけなければならず、ゴミを置くと通路が阻まれる。
それでも航海は進んでいく。


睡魔がいる

友遠方より来る二日目
ほぼ一日停めて駐車料金5300円、友達は「宿代より安い」と払ってくれた。雪の降るなか実家へ車を返しに行く。ドカ雪になっていなくて良かった。これからはチェーンをトランクに積んで置かなくては。
しかし眠い。友達は下戸だから私は夕べも今日も殆ど飲んでない。夕べもちょっとだけ、と寝袋に入ったら最後、昼に実家から電話がかかってくるまで寝ていた。実家でも寝過ぎて母に起こされる。今、鍋の宴も終わって今も強烈に眠い。こういうのを睡魔がいる、という。車の中にいなくて幸いだった。この日記を誰かが読むより前に確実に寝てると思う。おやすみなさい。
2時間寝て起きた。ロフトから降りると友達がちょうど寝るところだった。半分洗いかけでやめた食器がきれいに洗ってあった。シャワーブースの入り口のマットが濡れていてああ、シャワー浴びたんだな、と思う。私もシャワー浴びてフリース着て薬飲んで睡魔を寝倒そう。


初買い

友遠方より来る一日目
福袋を買った。銀座で弁当を買おうとしたのが朝10時、見事に敵の術にはまった。入っているのは、スカーフ、マフラー、ベルト、バッグ等々体のサイズに関係ないものばかりである。我慢できない、買った、5,000円。
家に帰って見ると全8点、私の趣味と全然違うの。それが面白い。プレゼントだって、相手の好きな色とか考えるでしょ。それが全くない。どうやっていつもの格好に取り入れようかな。あれこれ考える。ベルトは夏向きかも。指輪はすぐにはめた。人にあげちゃう物もあるかもしれない。何度見ても不思議感が抜けない。


淡々元旦

さんざんラジオに脅されたが、40数年ぶりの元旦の東京の雪はちらちら舞った程度だった。私の行ってるプールは年末に休んで元旦からはオープンなのだが、結局泳ぎには行かなかった。「泳がなければ、往復は歩かなければ」という気持ちが自分のなかでかったるかったので両親とおせちを食ってから昼寝して、その後車で2時間くらい走ってきた。


TOP