2003/9/20 土曜日
ひどかった。こんなにひどいコンサートは久しぶりというか初めてだ。
ギター兼キーボード、チェロ、ルー、フェルナンド・サンダース、バックボーカルという編成、おいおいドラムがないぞ。前回、4年前のライブがシンプルながら充実していてとても良かっただけに今度のバラバラぶりは悲惨にさえ見えた。チェロなんかゲストで出せばいいだろ。私はフェルナンド・サンダースというベーシストのファンで、この人さえ見られればと思って行ったが、なんとフェルさん大活躍。それもイヤな活躍。ベースとバックコーラスはいいけど、曲の途中でベースを放り出して下手くそなシンセドラムを叩いたり、ベース弾きながらバスドラ打ったりしている。もうめちゃくちゃ。それと太極拳のオヤジが出てきて舞ったりしていたがそんな金あったら、頼むからドラムドラムドラムを入れてくれ。曲は4年前は新しいのしかやらなかったが今回は昔の曲も多かった、が、なにをやってもこの編成じゃだめだ、最初の入りから音が合ってないんだ、聴く気がどんどん薄れてくる。
私はアンコールで立たなかった。拍手している奴らがバカみたいに思えた。練習を見ているみたいなのに誰も「金返せ」と怒鳴らない。ルーはすっかり耄碌してしまったんだろうか、これがプロのステージなんだろうか。
2003/9/19 金曜日
窓を閉めようと立ち上がった時に足元でぷちっという感触があった。テレビの配線の繋ぎのところをやった。ええ、そうそう昔のやつ、弁当箱みたいのにコードを突っ込んでネジで回して留めるやつ。もうコードがぎりぎりで繋ぎ直せないや。貰い物のテレビだけれどもういいか。パソコンでテレビを見られるようにチューナーを買おうかな、いやもちろん稿料入ってから、ってことは最短11月か。はあ。別にテレビなんか普段はいらないんだけど、なんか事あるごとに金がないのがむかつく。ある人に「自転車操業」と言われたが、新人賞貰った時に500万も1000万も貯金がありゃそりゃ話は別だよ。私の貯金、1400円。
新潮に「海の仙人」(タイトル変わるかも)直しを送る。角川も相談事があって原稿を送った。でもすっきりはしてない。
2003/9/17 水曜日
自由が丘で昼からビール。いつも相談してる人に、小説の話をいろいろ聞いてもらう。
帰って来て仕事をするだろうと自分でも思っていたが大間違いで、いつまでたっても酔いが醒めない、頭がぼーっとしている。すごく久しぶりの後輩からメールが来ていた。某出版社にいる大学の同期と、先生と飲む件で長電話。
一人でこういう暮らしをしていると、人との接点が多い日とまるでない日がある。ない日の方が多いけどね。
2003/9/16 火曜日
母が「もう私これから何をしていいのかわからない」と言った。昨日は来客中にも関わらず台所に隠れてはイヤホンでラジオを聞いていたらしい。父は野球で母がイライラしなくなって心底ほっとしていることと思う。我が家では父と兄はサッカー党である。
とりあえず私の今日も脱力モード。スポーツ新聞を全部買ってコンビニのおばちゃんに笑われた。たらたら仕事はするものの、なんか身が入らなくて昼寝。今日は日本中にこういう抜け殻がおるんだろうなあと思う。
2003/9/15 月曜日
いつまで実家にいても阪神は優勝しないので蒲田に帰ってきてラジオを聞いた。そしたら優勝した、そんなもんだね。
18年前、浪人してた私は優勝の試合を神宮で見た。2浪の人が朝4時から並んでチケットをとってくれた。掛布のホームランで同点だったのかな、確か。佐野の大飛球もあった。85年のチームで一番好きだったのは弘田だった。小柄でいやらしいバッティングをする選手で「いぶし銀」と呼ばれていた。優勝の日は銀座線の中でも六甲颪の大合唱だった。家に帰ると母がほろりと涙をこぼしていた。
18年間ずっと、ちゃんと応援してたわけじゃない。暗黒時代、シーズン中盤になるともう捨てていた年も多かった。新庄が渡米するときに入ってきた選手が「僕が新庄さんの穴を埋めます」と豪語した。まさかと思ったけれど、それが今日のサヨナラヒットを打った赤星で、私の中では弘田の後継者だ。
優勝はすごい。なんか、自分にもすごいことが出来るんじゃないかという気にさせてくれる。そうやってバカになりきれる喜びを野球が与えてくれる。
2003/9/14 日曜日
夜のロドピンを飲むと1時間半座ってもいられない程苦しむことが判った。明日禿先生に相談しよう。鬱そのものは軽くなったがまだ出歩くのはきつい、ロッテンマイヤーは今週も休む。「袋小路」や「チョンゲスト」の原稿もすごくダメに思える、ボツになるかもしれない、なって当然かもしれない、と思う。「仙人」の原稿もやりながら「こんなの面白いんだろうか」と思う。編集長の熱い励ましの書き込みを見て正気を取り戻す。
とりあえずなんとか生きてます。飯は食えるようになりました。