Diary

最初が肝心

今はもう喋れないと思うけれど、昔はこてこてだった博多弁でも名古屋弁でも大事なのは単語の最初の音をどの音程で出すか、ということだった。ネイティブの人は大丈夫なんだろーけど、私なんかはそれを失敗するともう流れがつくれなくなって喋れない。そんなこともあって、新潟に来た以上私はェトヤマで、ィフィム群馬でも仕事してるてんぽこき作家ってことになるんだろうか。ビーィスィヌラジオでよく聞いてみます。

ほんのき、うれーーしてにこらはんにゃめいてましたて。と一生懸命新潟弁での挨拶をを考えつつ、心のなかでは上州弁で「おこんじょされたら困らぃね」と恐れていたりもします。(ちなみに上州弁と新潟弁は全然似てないと思います)。昨日今日と、新潟出身の方や在住の方々からメールいただけて嬉しかったです。ありーーがとございました。ポッドキャストになったらぜひ笑ってやってください。

「不愉快な本の続編」では、新潟の街の描写はかなりあるけれど設定の関係もあって新潟弁は単語ふたつしか出てこない。(出しすぎたら違う話になってたと思います)。富山弁、広島弁はそれなりの人物が出てくるのでそういう会話の箇所がある。私はもちろんわからないので、出身の人で、しかも言葉に意識的な仕事の人に指導してもらうんだけれど、そのときに標準語で原稿を書いていたらいかにネイティブでも直せないんですね。いんちきなんだけどそれっぽい言葉で書くと「ここニュアンス違う」とか「これは言わない」というように直してもらえます。下戸の超然の北九州弁も博多弁から直していただいてました。

方言には異様なほど情熱を燃やす私がなぜ、フランス語も英語もダメダメなのかと言えば(イタリア語なんてテキスト見た瞬間に投げた)、文法がわかんないからです。あとつづりもできないからです。


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