Diary

非難されるかもしれませんが書きます。

政治や電力会社やマスコミ、自分のこれまでの生活の基準にまでも不信を抱えながら、非常時という古くさい言葉で我慢を続けていくことがどれだけ可能なのかと思うのです。そして目を覆いたくなるのはキレイゴト、そして美談。あとは逃避。「人の絆」とか確かに大事でしょう。感動する話ももちろんあるでしょう。有名人の寄付? 税金対策にはなるよ確かに。

でも、そこに対岸の火事的ななにかを嗅ぎつけてしまったとき、とてもイヤな気持ちになるのです。ひどく傷ついた人や街、これから何十年も苦しまなければならない現状から目をそらすために スローガン的なことを言われるのはまっぴらです。同時に停電と自粛で、当初問題のなかった地方でも経済活動が悪くなっていくことにも憂慮しています。広い範囲での商工業のことを考えた場合、おうちで節電するからいーやでは済まない現状があります。

じゃあ何ができるのかってもちろん何もできないし、個人的にはラジオの送り手として中途半端な態度を取ることもあるのです。こんなことを書いてさらに人にイヤな思いをさせて申し訳ないと思いますが、私個人の感情の発散と思っていただけますか。もちろん自己満足の基準はそれぞれだし、尊重するべきだと思います。でも答はまだ、どこにもありません。


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