Diary

珍しく文章の書き方なんて

新潮連載の「薄情」を書いています。そろそろ大詰めが近づいています。なんとか今年中に本にしたいです。
私の小説の書き方は変なので、説明しても意味不明だろうし誰の参考にもならないと思いますが、連載小説を書くときはいつも同じプロセスです。
 
今はエピソードや言葉がばらばらに浮遊している水槽の底に自分が沈んでいます。連載だから出来るやり方ですが、この水槽を作るのに十日やそこらかけています。その間は別の仕事と並行でやっているし、手書きのメモ以外は一切書きません。
水槽のなかが作品の環境なので、そこに入ってしまえば、あとは書くだけです。まだ水が冷たく感じて動きも悪いし、目も開けてられないし、底なので光も届きません。でもその環境のなかで何日か登場人物と一緒に暮らしていると、一日中書いているのに同じだけ削るから枚数がまったく増えない日がでてきます。泳いでいて息ができなくて苦しい感じです。登場人物はそんなに苦しそうではなく、でも一緒に泳いでいると思います。
そこを脱してやっと水面が見えてきたらいつの間にか、その回は書き終わっていて、出版社に原稿を送ったら全力でそれまでに書いたことを忘れます。覚えてると冷静にゲラが読めないからです。
あとはゲラを二回、隙間がなくなるほどいじくりまわします。リズムとかテンポを整えるのがここの作業で、感情は殆ど伴いません。分解と接合を繰り返しているこの部分だけは、仕事や趣味を通り越して変態だと自分でも思います。
なんだかんだと、こんなやり方でずっとやってます。
来月は掌編書きたいです。掌編はもっとわけわからない書き方なので今は説明できないです。そのうちそういう機会もあるかな。
 
大学で教えてる取材実習の方がずっとわかりやすいと思います。理論じゃなくて方法論教える授業なのですが、私が環境を整えると、あとは学生が自分でいろいろ試して発見してくれるので、こっちが嬉しくなります。


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